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学部・研究科レポート

2021.11.06

心理学部教員インタビュー(9):藤掛 友希 助教

人気企画「教員インタビュー」では、心理学部専任教員からのメッセージをお届けします。授業中に見せる『教員の顔』とはまた別の、各教員の「研究者の顔」「一個人としての顔」を紹介していきます。

現在の研究テーマ、専門分野を教えてください

私は、絵や写真を用いた非言語的な表現をしている間の体験プロセスや、また表現されたものについて、どのように人の心と関連しているのかということに興味関心を持っています。特に雑誌を切ったり貼ったりすることで制作されるコラージュ療法について、これまで研究を行ってきました。

専門分野については、どれか一つを取り出して話すのは難しいところで、純粋な「〇○心理学」というものがあるとしても、それに対して正直のところまだ現実味を感じられていません。ただ、私の場合、さまざまな学問領域のなかで、研究にしても心理臨床にしても、人の心に向き合うときに比較的用いることが多い視点が有ると思っています。それが、先ほどお話しした人の心の在りようについて言語、非言語的表現から推し量る「心理的アセスメント」や、「発達心理学」「臨床心理学」の分野です。

現在の専門分野を目指した理由、きっかけは何ですか?

何か確かな意志やきっかけがあるわけではなく、また色々と右往左往していたので記憶も曖昧ですが...、元々は、ピアノをやってきたので、心理学には音楽心理学があるということを知り、なんとなく音楽心理学が学べそうな大学に入ったはず...だったかと思います。とはいえ、哲学に行くか心理学に行くか、はたまた美術史学にしようかの選択を迷っていたので、入学時にすぐにはコースを決めなくてよい大学を選んだというのもあります。あとは、私自身かなりのあがり症ですぐにドキドキしてしまう一方で、その癖スローテンポなタイプなので、心理学を学ぶなかで自分自身について知りたいということが、実際にはあったと思います。要するに、恥ずかしながら当時の私は本当に自分のことで精一杯だったんだろうと思います(苦笑)。

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それでも、結局のところ2年生で心理学を選択したのは、自分ではなくて特に目の前の人、個人の心について知りたいということが、一番の決め手だったと思います。ただ、これには(にも?)、心理学ではないことがきっかけにありました。高校の時、友人が部長だった写真部が部員不足で廃部になってしまうという経緯で、ほぼ頭数的に幽霊写真部員を務めていました。なので、大学ではもう少し写真をちゃんとやろうかな、一応カメラも買ったし...ということで、軽い気持ちで写真サークルに入りました。これが思いがけなく自分の中ではヒットしました。写真の腕前も下手の横好きなのですが、改めて一枚の写真をみてみると、撮影者のその人らしさと同時に、被写体のらしさもにじみ出ているように感じられました。つまり撮影者と被写体という自分と他者が一つとなったような、あるいは自他の「間」にある特有の関係性が写真に映し出されているようで、とても不思議に思ったのです。また、同じ写真をみても、その人その人で着眼点や感想がかなり異なるというのも、不思議でした。これらの不思議さに迫るには、心理学が一番しっくり来そうだなぁと、かなり勝手ですが思い付いたわけです。そして、写真は撮る以外にも、色々な写真集や展覧会をみたりしていたのですが、大学1、2年生の頃に知った写真家に影響を受けました。牛腸茂雄という写真家で、代表作の一つに『SELF AND OTHERS』という写真集があります。彼の写真は撮影者である彼自身と、彼に出会った被写体(これは主に子どもなのですが)との間に重なり合う視線と距離が非常に印象に残ります。さらに、牛腸は写真以外にも精力的で、『扉をあけると』というインクマーブルの作品集を、心理テストの一つであるロールシャッハ・テストの大家である片口安史先生とともに出版をしています。で、ゼミを選ぶ際に、たまたまその片口先生の手法でロールシャッハ・テストを学ぶ予定のゼミがあるとのことで、志望しました。

じゃあなんで、コラージュなのかという話なんですが、写真をキーワードに写真療法や写真にかかわる心理の文献を探していると、「コラージュ療法」という言葉をよく目にしました。自分の写真じゃなくて、そのあたりに流通している雑誌や他者の写真を切り抜くことで、制作者自身の心の一側面があらわれることが面白く感じました。そんな時に折しも心理学の先輩が卒論でコラージュを用いた研究をすることを知り、さっそく協力者となりました。3回コラージュを制作して気分との関連を見るものだったかと思いますが、正直のところ自分にとって初めの1、2回は期待していたような療法的な体験ではなく、どこか収まりが悪い感じでした。3回目に何とか着地し、ホッとしました。皮肉にも、その体験が引っかかって、ますますコラージュに興味を持ったわけです。私の意志とはあまり関係ない流れに乗りつつ、どんぶらこ~どんぶらこ~と現在の専門分野にたどり着いたと感じています。

どんな大学生活を過ごしていましたか?

大学生活全体で言えば、写真が大学生活で結構なウェイトを占めていましたが、授業面では「とりあえず」真面目な学生だったと思います(笑)。とりあえず...と「」つきで言ったのは、変に生真面目でだったんですよね。大学の授業は、それまでの小中高と違って、必修以外は自分の好きなようにカリキュラムが組むことができます。これは結構、大きな違いですよね...。現実的に言えばもう少しお友達と「この授業を一緒にとろうよ」と話し合うとか、「この授業はかなり難しいらしい」とかから色々慎重に選べばよいと思うのですが、そういう意味で私は結構アウトローで、シラバス上のただ一つのキーワードやフレーズで、何か気になる授業をとっていました。なので実際に蓋を開けてみると、全然知らない専門用語が飛び交っていて案の定よく分からず困るんです(完全に自業自得です)。でも、とりあえず何かが引っかかって履修したんだから...と思って、眠りもせず単位を切ることもなく、とりあえずその場に居続けて自分なりに一心に受講してました。そのうちに、分からないなりにハイに(?)なってくるわけです。幸い、単位は落としませんでしたが、さすがに成績はそれほど良くはありませんでした。それでも懲りずに大学院に入ってからも美術史の授業を、一人アウェイで受けたりしていました(笑)。

そんなこんなで、心理学以外の授業をかなり履修していました。特に、心理学以外で印象に残っている授業に、他の大学から来られていた建築家の先生が毎年開講されていたサブゼミがあります。毎年違うテーマで開講されていたので、私はこのサブゼミを4年間履修していたのですが、いつも金曜の夕から夜遅くまで議論を交わしていました。春休みにはその先生の所属されていた大学の学生さん(建築専門)向けの研修旅行に誘ってもらい、重いカメラをぶら下げてエジプトや南イタリアなどに行ったのは良い思い出です(もちろん大学入学前には、人生初の海外旅行がエジプトになろうとは予想だにしていません)。

高校生へのメッセージをお願いします!

今お話ししたような時間や空間を流れ流れてきたので、高校生の皆さんにメッセージを送るというのは申し訳ないというか...。むしろこの不安定な世の中では反面教師にしていただいた方が良いとさえ思っていますが(苦笑)。それでも開き直って言うのならば、皆さんがこれから「出会う」景色や人、機会、色々なものを大切にしていただければ...ということでしょうか。もちろん「自分」の軸をしっかり持つことは、言うまでもなくとっても大切です。しかし、一方で私自身について自分で考えるのは非常に難しい作業で、それだけになると時に息苦しさや煮詰まった感じもでてくるかもしれません。さらに、「自分」に硬く固執しすぎると、案外、自分の本音や可能性はスルリと手から流れ出てしまうこともあります。そういうときに、自分以外の誰かや、外の世界へと目を向けると、思わぬ発見があるかもしれません。

ですので、まずは大学生活で、どこかに漕ぎ出すつもりで旅を始めて、その道中を楽しむと良いのではないかと思います。大学の場合は、特に学びという面で刺激的な体験が待ち受けているはずです。ですので、あまり目的地が決まっていない人も、その道中を楽しむうち、いつか、どこかで「これは」という何か、誰かに触れる時があるのではないかと思いますし、そのうち、だんだんと自分の中が向かいたい先が見えてくることもあるでしょう。あるいは、すでに目的地が決まっている人は、できるだけそこに向かう道中で、目的以外のことにチャレンジをするのが、オススメかなと思います。途中で嵐が遭うときもあるかもしれませんから、それに備えたり嵐の後に寄り道や休憩をしたりも良いのではないでしょうか。そうすると、到着先での過ごし方のバリエーションが増えると思います。なかには、寄り道や休憩をするなかで目的地の方向転換をする場合もあるかもしれません。大学生活ももちろん楽しいだけでなく、大変なことも待ち受けていると思いますが、できるだけ(とはいえ時に休みながら)、大学生活という旅程で過ごす時間、立ち寄る空間を五感で味わってください。

◆教員プロフィールを詳しく知りたい方はこちらへ↓
教員情報
https://faculty.surugadai.ac.jp/sudhp/KgApp?resId=S000212

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