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大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(8)

2016/03/14その他

法学部教授 黒田基樹

 3月13日(日)に放送された第10回では、天正11年(1583)の状況が扱われていました。ここでは、徳川に服属した真田が、徳川の財力・労力をもとに新たな本拠上田城を構築してもらったこと。北条から沼田領引き渡し要求をうけた沼田城代矢沢頼綱が、北条からの使者を成敗したこと。真田が上杉方の前線虚空蔵山城を攻撃したこと。といったエピソードによって構成されていました。

 しかし実際の史実はもっと複雑でした。虚空蔵山城攻めは3月、上田城築城開始は4月、矢沢の北条使者成敗は7月のことでした。とくに実際の矢沢の動向は、通常の理解を超えるものでした。矢沢は6月に昌幸から沼田城代に任じられるのですが、すぐに敵対している上杉氏に従属してしまうのです。当然、上杉景勝は不審がり、周囲の味方に確認します。そこで矢沢が北条からの使者を成敗したというので、信用するのです。

 ところが主人の昌幸は、徳川に従って信濃では上杉と抗争していました。ここに小県郡と沼田領とで、政治的立場に大きな捻れが生まれているのです。長いこと戦国時代の動向を調べてきましたが、こんな訳分からない事態は、これ以外にみたことがありません。きっと当時の人々もそうだったでしょう。

 これは真田領国が、敵対し合う上杉・北条・徳川三勢力の狭間に位置していたからこそ、成立した事態でした。様々な事情によって三竦みの状態が続いていたために可能だった、極めて特殊なケースでしょう。しかしこうしたことを成り立たせてしまうところに、真田昌幸の生き残りのためになりふり構わない姿をみることができるように思います。

 「史実は小説よりも奇なり」という言い方があります。さしずめ「史実はドラマより奇なり」といったところでしょうか。実際の状況を知りたいと思った方は、ぜひ拙著『真田昌幸』を御覧下さい。


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