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大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(4)

2016/02/15その他

法学部教授 黒田基樹

 2月14日(日)に放送された第6話から、いよいよ旧武田領国をめぐる諸大名の抗争が始まります。この抗争は、この年(天正10年〈1582〉)10月末まで、5ヶ月にわたって展開されていきます。現在、学術的にはこの争乱を「天正壬午(てんしょうじんご)の乱」と呼んでいます。これは共に時代考証を担当している平山優氏の命名によるものです。

 「壬午」は天正10年の干支で、後世、この戦乱を「天正壬午」の時、などと言っていたことに基づいています。ただ一般にはなじみが薄く、音で聞いてすぐに漢字変換できないだろう、という判断から、呼称そのものを出すことは控えられました。けれども、スタッフやキャストの間では、すでに「天正壬午の乱」の言葉は連発されています。これを機に、この呼称が一般にも広がっていくかもしれません。

 もう一つ取り上げておきたいのが、織田家と徳川家康との関係です。ドラマのなかで、家康と阿茶局との間で、家康は信長の家来であったかどうか、と遣り取りする場面がありました。実際のところ、家康は三ヶ国の戦国大名でしたが、織田家に従属する関係にあったので、そうした立場を「織田大名」と呼んでいます。

 当初、信長と家康は同盟関係にあったのですが、信長が「天下人」になったことで、家康はそれに服属する立場になって、織田家一門や宿老などと同じ「織田大名」となったのでした。ただし家康は、織田家一門の扱いをうけていたので、宿老たちよりは上位に位置していました。

 両者の関係がややわかりにくいものであったことを、ドラマではそのような遣り取りで表現したのでした。なおドラマではことさら説明されませんが、家康の天正壬午の乱への参入は、織田家(直接には羽柴秀吉)から許可を得たうえでのことでした。それがその後の小牧・長久手合戦につながっていくことになります。

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