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大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(16)

2016/05/16その他

法学部教授 黒田基樹

 5月15日(日)に放送された第19回では、真田昌幸の嫡子信幸と、本多忠勝の娘稲姫(小松殿)との婚約の話が取り上げられていました。「稲姫」という名は、近世真田家において伝承された名の一つで、他には「於子亥(おねい)」ともいったといいます。「小松殿」というのは、後の呼び名になります。彼女が出した消息では、「久」と署名しているので、少なくとも信幸に嫁いでからは、実名は「久」といっていたようです。

 信幸と小松殿の婚姻の時期については、明確ではなく、いくつかの伝えがあります。多くは天正13年(1585)あるいは同14年としているのですが、これだと真田家が羽柴(豊臣)秀吉に服属する以前のことになるので、ありえません。そのなかで「沼田日記」という史料は、同16年12月の婚約、同17年9月の婚姻という伝えを載せています。状況としては、その可能性が高いと考えています。

 また小松殿は、婚姻にあたっては徳川家康の養女とされたと考えられます。真田家の他に、小笠原貞慶・木曾義昌の信濃国衆も徳川家の与力とされ、そのうち小笠原家とは、貞慶の嫡子秀政が、やはり家康の養女と婚姻しています。そしてそれらは、秀吉の命令によると伝えられています。それまで敵対関係にあった両者が、寄親・与力関係になったことで、親密化のために結ばれたものです。

 さて今回から、秀吉の京都における本拠として、聚楽第(じゅらくてい)が登場するようになりました。セットの装飾は、かなり凝ったものになっていました。これから何回かにわたって、ご紹介しようと思います。

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 これは廊下に吊されていた、吊り灯籠です。よくみると、秀吉が使用した、菊紋と桐紋があしらわれているんですね。実に凝っています。

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