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大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(13)

2016/04/25その他

法学部教授 黒田基樹

 4月24日(日)に放送された第16回では、いよいよ信繁が羽柴(豊臣)秀吉の馬廻衆に加えられました。これによって信繁はこの後、秀吉の側にあって物語の中心に位置していくことになります。しかもこれについては、根拠となる史実があるのです。少し後の文禄元年(1592)のことになりますが、『太閤記』にも引用されている「秀吉公名護屋御陣之図ニ相添候覚書」に、信繁が秀吉の馬廻衆であったことが記されているのです。

 もっとも信繁が何時、秀吉の直臣に取り立てられたのかは明らかではありません。ドラマでは信繁に、真田昌幸の秀吉への服属の動向を、秀吉の側で体験させるために、上杉景勝の上洛後のことにしていますが、これはもちろんドラマ上の設定になります。

 昌幸が秀吉に服属するのは天正15年(1587)2月のことで、その時に信繁は、秀吉への人質として送られたと考えられます。その2年後に、秀吉は服属大名に対して妻とともに在京を命じます。おそらくその時から、昌幸の妻山之手殿(ドラマでは「薫」)が在京するようになり、それにともなって信繁は人質の立場を解除されて、秀吉から直臣に取り立てられた可能性が高いと思われます。

 そうはいっても、信繁が秀吉馬廻衆であったという史実は、ドラマをすすめていく上で大きな支えになります。信繁を常に秀吉の側に置くことを、正々堂々と行えるからです。これまでの大河ドラマでも、主人公を信長や秀吉など物語の中心になる人物の側に置くことがよく行われてきましたが、大抵は設定上の都合によるもので、実際にはありえないことでした。しかし今回については、確かな根拠が存在していることなので、安心して信繁の動向をみることができるようになっています。


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