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学部・研究科レポート

2020.05.01

駿大経済30周年(その3)~経済学部開設当初の教育活動を振り返って

 経済経営学部の前身である経済学部が駿河台大学の第2の学部として開設されたのは1990年(平成2年)のことでした。それからちょうど30年がたちました。その節目を記念して、最初期の経済学部を知る卒業生・教員の皆さんが当時の思い出を語る新連載を企画しました。開設当初の駿大経済の様子を懐かしく、あるいは新鮮な思いで垣間見ていただければと思います。

 連載第3回目は、1回目・2回目にご登場の2期生の演習Ⅰ担当だった小澤伸光教授による90年代の思い出です。

経済学部開設当初の教育活動を振り返って

経済経営学部 特任教授 小澤伸光

 駿河台大学に赴任したのは、経済学部(現在の経済経営学部)開設2年目の1991年でした。当時の経済学部は、経済学科、経営情報学科の2学科から構成され、私は経営情報学科の所属です。
 担当科目は、経営管理総論、労務管理論、外書購読、プロゼミナールⅠ(1年次)、演習Ⅰ(3年次)、演習Ⅱ(4年次)です。
 当時は、設置基準が厳しく、経営学等の領域別に「必置科目」、「準必置科目」が決められていました。「経営管理総論」は必置科目で、カリキュラムでは経営情報学科の必修科目でした。
 18歳人口の激増期にあたり、入学定員の臨時増加措置がとられ、「経営管理総論」の受講者は300名を超えていました。7401教室で講義を行いましたが、私語を少なくさせるための工夫をさまざま試みていたことを想起しています。
 その頃は携帯電話の普及率が低く、今のような「スマホ依存症」は見られません。講義が面白くなければ、すぐに私語が始まります。受講者の関心を持続する講義をどのように行うか、日々試される毎日でした。
 幸いなことに、経営学の対象は身近な企業行動、組織行動ですので、受講者が比較的興味を持ちやすいテーマには事欠きません。
 企業の仕事現場の実際を知っておくことが、リアリティー・ショック(入社後の仕事・職場の現実が、入社前の期待と大幅な差があるために受けるショック:中途退職の大きな原因となります)を避ける最善策です。そのため、私のプロゼミ(1年次)や演習Ⅰ(3年次)では、企業調査をテーマとした展示を大学祭で行っていました。
 この特集第1回の鈴木さん第2回の土屋さんは、私の演習Ⅰの2期生です。第1回の記事写真の展示は、プロゼミと演習Ⅰの合同展示の様子を示しています。
 下の写真は、1992年の大学祭における小澤プロゼミの展示室の入口を撮影したものです。日本企業の勢いが強かった時代を物語っています。
 1年次、3年次のゼミ生の皆さんは極めて積極的で、ゼミ展示の準備のために企業に直接取材することをためらいません。企業の広報担当者に直接電話してアポイントメントを取り、時間を調整して聞き取り調査を行っていました。(コーヒーをご馳走になったり、なかには、お土産を頂いて感激して報告に来たゼミ生もいました。)

20200501keizaikeiei01.png1992年大学祭ゼミ展示:小澤プロゼミナール
テーマ:世界の中の日本企業

 1990年代初め頃は、今と同じように食堂がとても混んでいました。鈴木さんや土屋さんたちは、昼休みの時間になると他のゼミ生と一緒に、私の研究室で昼食をとることがままありありました。教員と学生との心理的距離が近く、食事をとりながら、講義、就職、部活動、サークル活動について語り合っていたものです。
 当時の私の研究室は、本や資料も多くなく、8人ぐらいならばゆったりと座って食事ができました。今の研究室の惨状からは想像もできません。

20200501keizaikeiei02.png1992年小澤研究室

 30年間、教育・研究・管理運営・社会貢献活動に携わると、自然と蔵書や資料が増えていくものです。1990年代の私は、地域企業との関係はあまり深いものではありませんでした。私が地域企業とのかかわりを深めるのは、1990年代の末頃からです。
 私にとって1990年代は、教育活動に特に重点を置いた時期として振り返ることができます。



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