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駿大経済30周年(その10)~勉強以外の番外編(サッカーの巻)

2020/09/30その他

 経済経営学部の前身である経済学部が駿河台大学の第2の学部として開設されたのは1990年(平成2年)のことでした。それからちょうど30年がたちました。その節目を記念して、初期の経済学部を知る卒業生・教員の皆さんが当時の思い出を語る新連載を企画しました。開設当初から今日に至るまでの駿大経済の様子を懐かしく、あるいは新鮮な思いで垣間見ていただければと思います。

 連載第10回目は9回目と同じくドイツ語の明石真和教授の登場です。今回はサッカーをめぐる思い出です。

勉強以外の番外編(サッカーの巻)

 1990年、本学の経済学部が発足したころ、日本サッカーは低迷していた。メキシコ五輪(1968年)での銅メダル獲得以降は、20年以上もワールドカップ(W杯)やオリンピックのアジア予選で負けつづけ、競技場に足を向けるファンは減少していた。
 1993年、「Jリーグ」が創設され、日本もようやくプロの時代になった。メキシコの銅メダリスト世代が監督や指導者になり、ブラジル、ドイツ、アルゼンチン、オランダ等のサッカー大国から有名選手が加入して、リーグは活性化した。スタジアムには新しいファンが押し寄せ、駿河台大学でも、サッカーに興味をもつ学生さんが急増した。

 そんなある日のこと。
「ドイツ選手のインタビューはできませんか?」という質問を受けた。ドイツ語演習の授業時だったと記憶する。
「もちろん可能だよ。所属クラブの広報と直接交渉するのが一番早いと思う。たとえば、どの選手がいいの?」
 学生の希望は、ブランメル仙台(現ベガルタ)のリトバスルキ、浦和レッズのブーフヴァルトといった有名選手であった。両名とも1990年W杯でのドイツ優勝に貢献した世界的名手である。

 卒業して会社勤めをしていたOBに、企画書作成についてアドバイスしてもらい、クラブと折衝した。仙台チームには、東京遠征時にゼネラルマネージャーの方にご挨拶に伺い、レッズには企画書持参で、浦和市(現さいたま市)内のクラブ事務所を訪ねた。どちらのスタッフも丁寧に応対してくださった。回答も非常に好意的で、「選手に打診して、本人が了解すれば許可します」とのことであった。

 ほどなくして、両チームから「取材OK」の連絡が届いた。「学生がドイツ語でインタビューする」という企画が、選手に受けたのかもしれない。皆でよろこび、すぐに準備にとりかかった。質問を考え、ドイツ語に訳し、役割分担して暗記した。ドイツ語演習受講生や経済学部生に限らず、日程調整のつく有志は全員同行することになった。

 リトバルスキ選手は、仙台で学生の質問ひとつひとつに丁寧に答えてくれた。W杯の話、日本サッカーのこと、日独の相違、引退後の将来・・・。陽気な彼は、最後には、カタコトの日本語で、逆に学生に質問していた。
 ブーフヴァルト選手も、浦和での練習後に親切に応じてくれた。90年のW杯でアルゼンチンの天才マラドーナ選手をマークしたときのこと、ドイツのレジェンドであるベッケンバウアー氏を選手、監督、そして人間として尊敬していることなど、大柄な身体に似あわない小さな声で、おだやかに語ってくれた。
 お二方の取材は、参加者全員にとって、非常に有意義で思い出深いひとときになった。収録したインタビューは、学生自身が編集してメディアセンターに収納した。
 その後、名古屋グランパス、ガンバ大阪、清水エスパルスなどでも、外国人の監督とコーチにドイツ語や英語でのインタビューを行うことができた。リトバルスキ、ブーフヴァルト両選手をはじめ、快く応じてくれたすべての方々、そして仲介の労をとってくださった各チームには今も感謝している。

 何年かして、取材メンバーのひとりであるS君と会い、そんな話になった。
「このあいだ、会社の上司に、浦和レッズにインタビューに行った話をしたら、『学生がそんなことをしていいのか?叱られないのか?』と言われました。何も悪いことしていないのに(笑)」・・・。

 現役の皆さん、そして、これから大学を目指す皆さん!学生だからこそ、「損得抜き、ダメでもともと・・・」の気持ちで、チャレンジできることがあります。法に触れなければ、たぶん、叱られません!(笑)
 ぜひ学生時代に、若い感性でいろいろなことを試してください。

(終)

20200930keizai_01.jpgリトバルスキ選手と

20200930keizai_02.jpgブーフヴァルト選手と

20200930keizai_03.jpg浦和レッズ、オジエク監督(当時)と


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