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- 大河ドラマ「豊臣兄弟!」ワンポイント解説・第37回
学部・研究科レポート
駿河台大学法学部教授・黒田基樹
本学法学部の黒田基樹教授は、日本史の中でも戦国史について研究をしており、2026年1月から始まったNHK 大河ドラマ「豊臣兄弟!」の時代考証を担当しています。
時代考証とは、八津弘幸さんが書かれている脚本が出来上がるまでに、史実と脚本に違いがあるかないか、時代感が合っているかどうか、などチェックする仕事です。
第37回は、天正13年(1585)9月に秀長が新たな領国とした大和に入部し、大和の統治にあたる内容が取り上げられていました。今回、取り上げられたのは検地の話でした。 検地とは、田畠の耕地面積をもとに、村の課税基準額を設定する政策のことです。
秀長が大和に入部したのは9月3日のこと、秀吉とともに5000人の軍勢を従えて、奈良に赴きます。そこから秀長は、新たな本拠にした郡山城に入っています。
この秀吉・秀長兄弟の動向は、大和が羽柴政権の統治下に入ったことを、大和の支配者であった興福寺などの寺社勢力にみせつめるためといってよいでしょう。ドラマでは、秀吉の奈良入りは取り上げられていませんが、実際には兄弟揃って奈良に赴いてきたのでした。
郡山城に入った秀長は、そこから大和統治を開始します。ドラマで取り上げられたのは、検地の件で、最終的に、検地を施行し、各村の石高を決定し、それをもとに年貢高が決定された、という内容でした。
実際には、天正13年については、各村・領主に石高を申告させる指出(さしだし)検地をおこない、内容に不十分なところがあったため、翌年に、測量する丈量(じょうりょう)検地をおこなっています。さらには、大和南部を領国に編入し、検地をおこなうのは、天正15年のことになります。
しかしドラマで、そのようなこまかな経緯を具体的に取り上げることはできません。またそのような実際の経緯の通りでは、見応えのあるドラマ展開を作ることはできません。そのため今回のところで、検地の話が決着したかたちとして、丈量検地をおこなうところまで扱われています。
今回と次回で、秀長の大和統治について取り上げられます。しかしその内容は、実際には翌年までかかっている事柄が、入部後すぐのこととして扱われるかたちになっています。でも内容は、検地、寺領の決定、興福寺への寄進、築城、次回で取り上げられる郡山町の振興など、実際にみられたことをもとにしています。
秀長の大和統治の内容と経緯については、拙著『秀吉を天下人にした男 羽柴秀長』(講談社現代新書)で詳しく取り上げていますので、実際のことが知りたい方は、それをお読み下さい。
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郡山城の天守です。 -
普請現場のセットです。