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- 大河ドラマ「豊臣兄弟!」ワンポイント解説・第36回
学部・研究科レポート
第36回では、天正12年(1584)12月に徳川家康から人質として、次男義伊(のち結城秀康)が送られてきたところから、同13年8月初め、土佐長宗我部元親を降伏させるところまでが取り上げられていました。
ただドラマの展開では、7月11日の秀吉の関白任官が、長宗我部元親降伏と並行して取り上げられるかたちになっていましたが、これはドラマ展開を効果的にするため、あえて時系列をずらしたかたちになっています。
四国攻めは秀長が先陣の総大将を務め、その後、7月3日に秀吉の出陣が予定されていました。ところが前日の2日、秀長は、いまだ阿波木津城を攻略できていなかったため、秀吉に出陣延期を申請し、秀吉は出陣を10日まで延期します。その間に秀長は木津城を攻略、続いて一宮城攻撃、25日から同城将・谷忠澄を通じて、長宗我部元親との和睦交渉をすすめます。
そして秀吉は10日に、四国への出陣そのものを中止し、11日に関白に任官します。秀吉はこの年3月10日に正二位・内大臣に任官して、武家で最高位に位置しました。そのうえで織田信長の官位(右大臣)を超えることを望んで、左大臣への任官を朝廷に要請します。
それにより関白二条昭実と左大臣近衛信輔との間で関白職をめぐる争いが生じます。それをうけて秀吉は、摂関家近衛竜山(信輔の父)の「猶子」になるかたちをとって、関白職に任官するのです。そのため関白任官は、「藤原秀吉」としておこなわれています。
ドラマでは、長宗我部元親の降伏のあとに関白に任官しているのですが、実際にはそのあとに、秀長の一宮城攻略、元親の降伏と続いていくのです。
またドラマでは、蜂須賀正勝が大坂城に帰還して、秀吉に出陣延期をはたらきかけていますが、これはドラマ展開の都合上の創作です。実際の正勝は、元親降伏後は、黒田官兵衛とともに伊予に赴き、長宗我部方から諸城請け取りの任務にあたっています。
実際の武将たちの動向が判明する反面、効果的なドラマ展開との間で、齟齬が生じがちになります。史実をもとにドラマ作りしていますが、ドラマとしての完成度を優先しなければならず、そうすると史実の経緯通りにはなかなかいきません。そこに大河ドラマ制作における難しさを感じます。
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大坂城主殿のセットです。小道具の精巧さに驚かされます。