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- 大河ドラマ「豊臣兄弟!」ワンポイント解説・第29回
学部・研究科レポート
駿河台大学法学部教授・黒田基樹
本学法学部の黒田基樹教授は、日本史の中でも戦国史について研究をしており、2026年1月から始まったNHK 大河ドラマ「豊臣兄弟!」の時代考証を担当しています。
時代考証とは、八津弘幸さんが書かれている脚本が出来上がるまでに、史実と脚本に違いがあるかないか、時代感が合っているかどうか、などチェックする仕事です。
第29回では、天正10年(1582)6月13日の山崎合戦から、そこでの負傷をもとに、小一郎(秀長)の嫡男・与一郎が死去し、そしてそれをうけて、秀吉が、織田家に代わって、自らが天下人になる決意をしたところが取り上げられていました。
秀長の嫡男・与一郎については、この天正10年に死去したことがわかっているだけで、具体的な時期や経緯は判明していません。ドラマでは、山崎合戦で負傷し、それがもとで死去した、という設定になっています。
与一郎がキャスティングされた時から、与一郎の死去をどのように設定するのだろうか、と注目していました。主人公の嫡男ですから、それなりの描かれ方がされるだろうとは思っていましたが、まさか山崎合戦での負傷がもとで死去することになるとは、想像していませんでした。
しかも注目されるのは、その死去が、秀吉に自ら天下人になる決意をさせる、大きな要因をなした、ということです。秀吉がそうした決意をする設定については、制作側では早い段階からいろいろ検討していたようです。
実際の歴史的経緯からすると、翌年の賤ヶ岳合戦後のこと、あるいはその後、織田家当主になっていた織田信雄と全面対決を決断した時、などが想定されます。
ところがドラマでは、それより早い時期に設定したかったようです。そのほうがドラマとして盛り上げやすい、ということのようです。そしてその時期として、山崎合戦による与一郎の死去に設定された、ということとみられます。
ちなみにドラマでは、与一郎は負傷後、長浜城で療養していた設定になっていました。ドラマのなかで具体的な日付は示されていませんでした。長浜城は、本能寺の変後、明智方に占領されていましたが、秀吉は19日に奪還しています。なので与一郎らの長浜城帰還は、19日以降のことになります。
そして秀吉は、織田信雄・同信孝・丹羽長秀・池田恒興とともに、美濃・尾張の明智方鎮圧のため、21日に長浜城を出陣します。ですので与一郎の死去は、20日頃に設定されているとみなされます。
なお山崎合戦後の実際の歴史的経緯に触れておくと、13日に明智光秀を死去させたあと、15日に織田信孝らは光秀の本拠・近江坂本城を攻略して、明智家を滅亡させ、同日に、織田信雄が安土城を奪還しています。
そして両軍は合流して、近江の鎮圧をすすめ、そのなかで秀吉が19日に長浜城を奪還します。そして21日に、それらは揃って美濃に進軍します。
ちなみに秀長はそれには同行していなかったとみられ、秀長は、光秀の本国・丹波国の経略をすすめています。ここでも秀長は、秀吉とは別に軍事行動していました。
ただしドラマでは、与一郎の死去時、小一郎は長浜城に居ました。ということは秀長による丹波攻略については、取り上げられないということになるでしょう。やはりドラマとしては、その後の清須会議に小一郎を参加させたい、ということなのでしょう。
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今回は、藤吉郎と寧々の小道具です。