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学部・研究科レポート

2026.03.02

大河ドラマ「豊臣兄弟!」ワンポイント解説・第8回

第8回はタイトル通りに「墨俣一夜城」が」扱われました。しかしこの話、「豊臣兄弟!紀行」でも取り上げられていたように、江戸時代後期成立の「絵本太閤記」で創り出された話で、歴史的事実ではありません。しかし秀吉の物語において、欠かすことが出来ないエピソードのため、あえて取り上げられています。
秀吉が初めて当時の史料に登場するのは、永禄8年(1565)11月のこと。尾張犬山領の領主に、織田信長による所領安堵を取り次いでいることになります。その役割からその当時、秀吉は信長の馬廻衆に所属し、有力な側近家臣として存在していたと推定されます。その後、秀吉が登場してくるのは、それから3年後になります。
その間の永禄10年9月に、信長は美濃一色(斎藤)家を攻略し、美濃の領国化を遂げます。その美濃攻略における秀吉の活躍として、「墨俣一夜城」の話が作られているのです。
その元の話は、小瀬甫庵「太閤記」にあります。永禄9年9月に、尾張・美濃国境に7、8日で砦を築き、その後は兵3千人を率いてその砦を守備した、という内容です。これが江戸時代後期になると、「墨俣一夜城」の話へと変質していったのです。
もっとも「太閤記」に内容は、ありえない話ではありません。その直前、信長は犬山領対岸の美濃各務原地域に進軍したものの、一色勢に撃退されていました。それをうけて美濃国境に砦を構築した、という話は十分に考えられます。ただしその状況から、砦は各務原地域に築かれたと考えられます。
実は墨俣については、それより以前の永禄4年から、信長方の砦として存在しています(『信長公記』)。ですから「絵本太閤記」の話は、全く架空のことなのです。
さてドラマでは、砦構築の期間について、秀吉は信長に7日ほどと答えていましたね。これは「太閤記」に記されていることをもとにしたものでしょう。そのうえで砦が存在したのが、わずか「一夜」であったとして、文字通り「一夜城」という話になっていました。こうした八津さんの捻りは秀逸といわざるをえませんね。
小牧山城下で与えられた小一郎の屋敷です。藤吉郎の屋敷の隣に建てられているという設定です。

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