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学部・研究科レポート

2026.01.27

大河ドラマ「豊臣兄弟!」ワンポイント解説・第4回

第4回は桶狭間合戦でした。そして藤吉郎はそこでの戦功により、足軽組頭に取り立てられ、苗字と実名を与えられて「木下藤吉郎秀吉」と名乗ることになりました。また小一郎も、兄秀吉に従うというかたちで、織田信長の家臣になりました。

第1回で、藤吉郎が初登場の際、「木下藤吉郎」と名乗ってましたが、実はそれは、組頭の木下雅楽助(うたのすけ)にあやかって木下苗字を詐称した、という設定だったのです。そのあとからここで信長から木下苗字を与えられるまでは、「足軽藤吉郎」と呼ばれ続けていました。気づいてましたか。

実際に秀吉が信長の家臣として確認されるのは、これより5年後にあたる永禄8年(1565)のことです。その時には、信長の馬廻衆に所属し、有力側近家臣として存在していた、と推定されます。それまでの動向は確定されないので、そのように作劇されました。ただ木下苗字が、組頭木下雅楽助に由来することは、江戸時代成立史料にみえていることで、それを採用しています。

秀吉はここで足軽組頭になりましたが、それは信長から直接に所領を与えられて直臣になり、その親衛隊にあたる馬廻衆に編成された、ということを意味します。

またここで、小一郎も信長の家臣になります。ドラマではそれについて詳しく取り上げられていませんが、それはドラマ構成上の都合になります。信長から直接に所領を与えられてその直臣にされ、そのうえで秀吉に与力というかたちで付属された、という設定になっています。

またその際に、木下苗字と実名長秀を与えられて、「木下小一郎長秀」を名乗るようになった、という設定になっています。なおそのうちの「長」字は、信長からの偏諱(へんき。実名の一字)を与えられたものになります。これにより秀長が信長の直臣だったことがわかるのです。秀長の初めの実名は長秀でした。それが秀長に改名されるのは、もっとあとの時期になります。

秀長が信長家臣として確認されるのは、これより何と13年後の天正元年(1573)のことです。信長の馬廻衆として存在していました。実際に秀吉の与力にされるのはその2年後からになります。しかし信長馬廻衆として扱うと、兄弟の物語にならないですよね。ですのでその部分については意図的に省かれます。 ドラマとしてどう面白くするか、が第一ですので、史実通りに描かれないこともあります。しかしそれでも、史実との整合性をできるだけ保つようにしています。
作中に登場した、今川義元の朱輿と衝立です。綺麗ですね。実は桶狭間合戦のシーン、ほとんどはスタジオ撮影でした。背景はバーチャルで、どこまでがスタジオセットで、どこからバーチャルか、わかりましたか?気になったら再放送などで確認してみて下さい。

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