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学部・研究科レポート

2021.04.24

駿大経済30周年(その13)~32年目の経済経営学部

経済経営学部の前身である経済学部が駿河台大学の第2の学部として開設されたのは1990年(平成2年)のことでした。満30年の節目を記念して、初期の経済学部を知る卒業生・教員の皆さんが当時の思い出を語る新連載を企画しました。開設当初から今日に至るまでの駿大経済の様子を懐かしく、あるいは新鮮な思いで垣間見ていただければと思います。

連載第13回目は、経済学部開設時のメンバーで、現在も金融論などを担当する湯浅由一教授の語る思い出です。

1.1990年4月、教育者として。

2021年4月、私は駿河台大学の教員として32年目を迎えました。開学部当時の状況を知っている教員も少なくなりました。当時の状況を記述してみます。
経済学部として1990年4月に発足しました。開学部に当たり、教員は国からの教員審査を受けました。この審査に2年間程かかりました。私は1988年から本学部に関わっていたのでした。例えば、現在の第二講義棟の建設模様をリアル・タイムで観ておりました。自分の研究室が作られる過程を見ていたのです。それまで知っていた大学教員の個人用研究室とは格段に違う上質の研究室となりました。良い大学に就職したなと実感しました。

開学部の1990年4月、当然1年次生しか在籍しておりません。したがって、実際に開講するのは1年次生の演習・講義のみでした。私は幸運に恵まれていたのです。

「愛情教育」「少人数教育」「国際化」がキーワードでした。具体的には、「ゼミナール」の機能が重視されました。初期値は大事です。湯浅ゼミの第1期生メンバーは理想的でした。ファイン・スタートが出来ました。現在の第30期までに、累計437名のゼミ学生と交流することになりました。女子学生が63名、留学生が27名です。優秀賞1名、菩提樹賞12名を輩出しました。大事なポイントは大学卒業後の進路です。私が担当できる金融分野の学習を踏まえて、金融業界に就職したゼミ生は60名以上となりました。これを私の教育者としての成果の一部と考えています。自慢話としては日本銀行に勤務する卒業生がいます。香川県で税理士事務所を経営する者もいます。彼は、卒業以来、御中元と歳暮を欠かさずに贈ってくれています。讃岐のうどん・素麺です。時折、ゼミOB会が開催されます。会う度に、卒業生の肩書きが変化することを確認できます。これも教育者としての特権でしょうか。

最近、観察される現象として、大学生が転勤を敬遠する傾向が顕著です。すなわち、日本全国中の転勤を前提とするメガバンクをターゲットにはせず、信用金庫・信用組合・JAバンクといった狭いエリアを営業地域として限定する金融機関への就職希望が鮮明だということです。それはそれで、重要な役割があります。

教育者として。(「1999駿河台大学受験ガイド」に掲載された写真です)教育者として。(「1999駿河台大学受験ガイド」に掲載された写真です)

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上の写真が掲載された「1999駿河台大学受験ガイド」

2.1995年4月、研究者として。

さて、研究者としての結果もあります。私が幸運であったのは、大学から1年間の在外研究の機会を与えられたことでしょう。学部最初の在外研究者となりました。若手が優先されるべきであるという原則が合意されたのでした。アメリカのボストン大学(Boston University:BU)の客員研究員という身分でした。この際、現在コロンビア大学に在籍されている伊藤隆敏教授にコーディネートして頂きました。学校の先輩とは実に有り難いものです。日頃、研究会等に出席して自分の顔を知っておいて貰うことは重要なようです。在外研究制度は未整備の頃だったので、大学からは特別なご配慮をいただきました。教員をとても大事にしてくれる大学であることを実感しました。

BUからは3つの推薦状の提出を要求されました。当時の学長・学部長・恩師の寺西重郎先生(2014年に日本学士院賞)に依頼しました。BUでの身元引受人はジョナサン・イートン(Jonathan Eaton)教授でした。初対面の時、大学の食堂でミートローフのランチをご馳走してもらいました。これがとても美味しかったのです。この日以来、ミートローフを食べるとボストンのことを思い出すようになったのでした。ランチ・ミーティングと称する非公式会議が設定されてもいました。

ボストンでの想い出はいっぱいあります。毎日の体験がとても新鮮でした。当時、円高局面にあり、1ドル=75円台でした。円の収入にドルの支出という理想的な生活環境でした。食事時のチップは2ドルにしていました。

たまたま、旧知の後輩女性がイートン教授の下で大学院生として留学中でした。ボストンでの生活をスムーズに開始することができました。大学の支援センターに二人で訪れた日のことです。「ふたりで一緒に暮らすの?」と問われた時、二人同時に「No!(それはない)」ときっぱりと即答したという記憶があります。

住むことになったワンルームマンションの大家さんはドイツ人の眼科医でした。このドイツ人が極めて真面目であることを知ることになりました。部屋の小さな電球が1個壊れた時、わざわざ交換に来てくれました。また、解約時、敷金の返済において、なんと銀行預金での利息分を付加してくれたのでした。日本の慣習にはないことです。

ハーバード大学のキャンパス訪問・MIT大学の図書館の利用・ボストン美術館・・・と貴重な体験の連続でした。BUのキャンパスはとても広いです。なんとキャンパスに接して3つの電車駅があるのでした。飯能・元加治・仏子の3駅をカバーするというイメージです。キャンパスというよりも「一つの街」なのです。

与えられた研究室のシェア相手はインドから来た研究者でした。日々、彼が奥さんと一緒にカレーのランチを食べるシーンを目撃してもいました。私の英語論文の草稿をチェックしてくれるという利点がありました。

また、新学期当初に学部長が所属メンバーに対してメーセージを発するという慣例がありました。この慣例を帰国後、当時の学部長に伝えたのでした。



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