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学部・研究科レポート

2021.03.26

駿大経済30周年(その12)~経済学部から経済経営学部への30年間

経済経営学部の前身である経済学部が駿河台大学の第2の学部として開設されたのは1990年(平成2年)のことでした。それからちょうど30年がたちました。その節目を記念して、初期の経済学部を知る卒業生・教員の皆さんが当時の思い出を語る新連載を企画しました。開設当初から今日に至るまでの駿大経済の様子を懐かしく、あるいは新鮮な思いで垣間見ていただければと思います。

連載第12回目は、経済学部開設と同時に着任し、現在もコンピュータ・リテラシー等の情報系の専門科目の柱である町田 欣弥 特任教授の語る思い出です。


経済学部から経済経営学部への30年間

経済経営学部 特任教授 町田 欣弥

すでに11回を数える本連載には、何名かの先生方、そして卒業生の皆さんから経済学部(現経済経営学部)の30年前のすがた、そして30年間について様々な思い出や、出来事が語られています。今回は私も30年前の記憶をたどりながら、多少重複してしまうかもしれませんが書かせていただくことになりました。

経済学部開設当時、私も利用していた大学の西側を走る八高線は、東京都内に残った唯一の未電化路線として知られていました。研究室のある第二講義棟10階から見えた、あの急勾配を懸命に上るディーゼル列車の様子も懐かしい思い出です。八高線からの大学バスは金子ではなく、東飯能から飯能駅を経由して大学までというルートでした。

1990年の開設時には専任教員44名でした。これに非常勤の先生方を加えると実に多くのスタッフによる授業展開がなされていました。

経済学部開設当時の教師陣経済学部開設当時の教師陣

今回30年前の記憶をたどるために研究室を探してみたところ、いくつかの資料が出てきたのですが、大学のキャンパス・レイアウトにはメディア・センターも学生寮もありません。また写真にある6枚折になった時間割表には、驚いてしまいました。当時は学生も教員も広げて壁に貼っていたのではないでしょうか。紙媒体が当時の主要な情報伝達手段であったことがよくわかります。

当時のキャンパス・レイアウト当時のキャンパス・レイアウト

1990年度経済学部の時間割表1990年度経済学部の時間割表

私は初年度から情報系の科目で「プログラミング論」を担当したのですが、当時はまだWindowsも正式には登場していない状況で、もちろんインターネットも電子メールも、ほとんど一般的ではなかった時代でした。コンピュータを利用する教育といえば、理工系の大学が中心でした。経済学部などの社会科学系の学部で情報処理についての教育が行われたことは、かなり先進的であったともいえます。実際、当時の卒業生から社会人になってから、追いついてきたパソコンの時代に対応できたという感謝の言葉を聞いて、とてもうれしかったことを覚えています。

また経済学部では学部開設後6年後に大学院経済学研究科を開設したのですが、この大学院開設のときも、南林、小澤両先生とともに、当時の経営学領域としてはまだ一般化していない"コラボレーション"という名称を冠したコラボ・ルームを準備し、エンド・ユーザ・コンピューティングの科目を担当しました。インターネットの無い時代に、情報共有の実践の為にNotesというグループウェアを導入したことも、今ともなれば懐かしい苦労話です。

1990年当時のコンピュータ演習室(7104)

1990年当時のコンピュータ演習室(7104)

経済学部は現在の経済経営学部に至る30年間に大きく変化した社会環境に対応するために自らも積極的に変化することを心掛けてきました。そして学部が持つ、この環境適応力をこれからも活かしていくことと思います。


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