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学部・研究科レポート

2016.03.07

大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(7)

法学部教授 黒田基樹

 3月6日(日)に放送された第9回では、真田昌幸が北条氏から離叛し、今度は徳川氏に従属したところ、その北条氏と徳川氏が和睦・同盟を結んで、六月から始まった「天正壬午の乱」が終息したところまでが扱われていました。

 最後のところで、和睦は北条氏からの働きかけ、となっていましたが、これは確信犯的に史実を変えているところになります。実際は、織田信雄・信孝兄弟から徳川家康に早期の和睦が要請され、それをうけて家康から北条氏政に和睦が持ちかけられたのでした。しかしドラマでは、真田の離叛によって北条が危機に陥ったことを強調した都合から、そのような設定になっています。大河ドラマはあくまでも史実を基にしたドラマであって、決してドキュメンタリーではないんですね。こうしたところは、時代考証としても納得したうえのことなのです。

 また今回では、堀田作兵衛(興重)がどういう立場であったのかがよく示されていました。ドラマでは、「真田の郷」の地侍として設定しています。地侍というのは、本来は百姓(納税者)ですが、大名や国衆の家来になって、納税分を軍事奉公で負担するような存在になります。戦国時代では、大名や国衆の家来の半数はそうした存在でした。

 史実としての堀田作兵衛については、妹が信繁の側室になって二人の娘を生んだこと、作兵衛は後の大坂の陣の際に、上田領を出奔して信繁のもとに駆けつけ、ともに戦死したことなどが知られているにすぎません。地侍としているのも、あくまでもドラマ上での設定で、真田家臣であったことは確実ですが、どれくらいのレベルの家臣であったのかはわかっていません。

 しかし作兵衛を地侍として設定することで、信繁が村落同士の争いに接することができるようになっているので、これも演出上の都合になりますね。史実とドラマ設定との違いをみてみると、そこには結構奥深い思惑がこめられていることがわかります。

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