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学部・研究科レポート

2016.12.19

大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(47)

法学部教授 黒田基樹

 12月18日に、第50回、ついに最終回が放送されました。慶長20年(元和元年・1615)5月7日の天王寺口の合戦、いうまでもなく大坂の陣最後の戦いであるとともに、真田信繁最後の戦いとなった合戦と、そこでの信繁の最期が扱われていました。

 最終回ですので、もちろんドラマとしてのまとめになっています。そこで史実の解説をするのも野暮かとも思いますが、二つだけ触れたいと思います。

 一つは、羽柴(豊臣)方の敗戦の理由。なんと羽柴秀頼の馬印の後退による、味方兵の敗戦認識だったんですね。兵士は大将の馬印・旗印をみて、自軍の優勢・劣勢を判断していました。馬印・旗印が前進していれば優勢、後退していれば劣勢と認識したわけです。合戦において、いかに馬印・旗印が大事であったかがわかります。秀頼の馬印の後退は、大野治長のケアレスミスです。しかしこれが戦況を大きく変えてしまったのです。

 もう一つは、信繁の最期。信繁は、実際のところは、徳川家康の旗本備(旗本によって構成される軍団)に三度まで攻撃し、三度目に井伊・藤堂軍の攻撃、越前松平軍の反撃をうけて後退を余儀無くされました。そして最後は、越前松平家臣西尾仁左衛門に討ち取られます。ドラマでは自害として描かれていますが、もちろんドラマ上の都合です。

 ただその最期について、討ち取った西尾は、乗馬していた信繁に声をかけて勝負を挑み、下馬して鑓合わせの末に、西尾が信繁を突き伏せ、首をあげた、と伝えています。しかし徳川方の有力大名・細川忠興は、信繁は負傷して草臥れていたところを、西尾が首をあげたもので、手柄にはならない、と酷評しています。

 どちらが真相なのかわかりませんが、戦死であったことは間違いないでしょう。しかし家康旗本備への攻撃の様が、戦国以来の武将からみても、あまりに凄かったので、「真田、日の本一の兵」との名声を得ることになったのです。

 以下は、夏の陣の撮影風景です。撮影は10月初めでした。夏の陣といいながら、画面にはススキが映っているんですね。仕方ないですね。でもADさんは、丹念にススキを切っていました。そうしたところにドラマ作りの拘りを感じました。

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