10月30日に放送された第43回は、大坂城での戦略が籠城に決する過程が扱われていました。
大坂方が徳川方を迎え撃つに際して、信繁が出撃策を提案したが、これが羽柴(豊臣)方首脳によって否定され、籠城策に決した、という今回の話の内容は、江戸時代からみられているものです。「真田丸」では、江戸時代成立の話であれば、基本的に採用の対象とする、としてきましたので、この話を取り上げるのはもちろんアリになります。
しかしながら、この話が史実であったかどうか、というのは別の話になります。信繁が出撃策を提案したという、確かな記録があるわけではないからです。はっきりしていることは、大坂方では、当初から羽柴(豊臣)家の家老大野治長や、秀頼の後見役であったらしい織田有楽斎の主導のもと、籠城策が採られた、ということです。信繁の出撃策は、話を面白くするために、どうやら江戸時代人が創作したもののようです。
さてドラマでは、信繁の出撃策を秀頼が採用したにもかかわらず、「御上様」茶々の一声で覆され、籠城策に決した、と描かれていました。もちろんドラマ上の話になりますが、これは、大坂方において、茶々が最高権力者であったことを示しているものになります。そしてそのこと自体は、本当のことでした。
秀頼は羽柴(豊臣)家の当主でしたが、まだ22歳。しかも戦争経験はありません。そうしたなかで、依然として茶々が、秀吉後室(後家)として、羽柴家の家政を取り仕切っていたのでした。けれども茶々も、決して政治経験が豊富なわけではありませんでした。そうした茶々・秀頼が、どう徳川方に対していくのか。それがドラマでどう描かれていくのか、楽しみにしていただきたいです。
Copyright(c) SURUGADAI University All Rights Reserved.