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学部・研究科レポート

2016.10.10

大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(37)

法学部教授 黒田基樹

 10月9日に放送された第40回は、慶長19年秋に大坂の陣が勃発するまでの豊臣と徳川の政治対立の過程、そして信繁が大坂城に入城する決心を固めるところが扱われていました。

 前半の豊臣と徳川の政治対立では、有名な方広寺鐘銘事件から羽柴(豊臣)家宿老片桐且元の大坂城退去が取り上げられていました。従来は、家康は確信的に秀頼を潰そうとしていた、とみられていましたが、近年になってようやくそれらの政治過程について再検討がみられるようになりました。まだ全貌が明らかになるまでにはいたっていませんが、家康側に確信的な行動があったとみるよりも、両者のすれ違いによるところが大きかったとみられるようになっています。そのためドラマでも、その雰囲気が出されていましたね。

 後半では、信繁が「幸村」に名を変えることがとりあげられていました。この解説(1)でも述べたように、「幸村」は江戸時代半ばの創作による名です。もちろん制作側も承知していますから、これまで信繁の名できているわけです。ですからここでの「改名」は、わざとになります。その意図は何なのか、それは最終回まで御覧いただかなくてはならないでしょう。ただ今回の最後の予告編をみれば、江戸時代後半には定着した、「伝説の名将・真田幸村」との繋ぎになりそうだ、ということはうかがえたのではないでしょうか。

 「幸村」の名をどう扱うか、これは当初から懸案になっていました。「真田丸」放送前までは、圧倒的に「幸村」の知名度が高く、放送後も、一部の視聴者には両者が同一人物であることを認識していない様子も残っていたようです。そうしたなかで「幸村」をどう出すか、どう扱うか、検討がすすめられ、このようなかたちがとられることになりました。これが信繁の最期にどのような意味を与えるのか、これからの展開を楽しみにして下さい。

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 これは片桐且元の大坂城内の屋敷に飾られた甲冑です。ちょっとレアな写真でしょう。


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