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学部・研究科レポート

2016.08.15

大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(29)

法学部教授 黒田基樹

 8月14日(日)に放送された第32回は、慶長3年(1598)8月の羽柴(豊臣)秀吉の死去後から、翌4年正月までの動きが扱われていました。最後のナレーションで出てきた、正月21日への導入の話になっていました。

 その正月21日、何があったかは次回のお楽しみにしていただきたいのですが、史実でいうと、家康以外の四大老・五奉行が、家康の違反行為に対して詰問使を派遣した日になります。正月初めに秀頼が羽柴家の家督を相続した後、政権の本拠は大坂城に移されて、家康以外の四大老・五奉行は大坂に移っていました。家康だけは、政権の京都での拠点である伏見に居住となっていました。

 大坂では、家康の違反行為、具体的には諸大名との勝手な婚姻にあたりますが、これを詰問するということになりました。しかしドラマでは、大坂と伏見と動きを分けてしまうと作劇にならないということで、全員が伏見に居て、評定の場で家康を詰問する、という設定にしています。そしてそれをうけて正月21日の動きにつなげているのです。

 ところで劇中、家康の婚姻に関して、伊達政宗の娘と婚約した家康の子について、「五男忠輝」と出てきていましたが、少し説明が必要でしょう。忠輝は六男で知られていますが、長男信康は早くに無くなっていて、当時は五男でした。セリフなので「六男」とするのもおかしく、「五男」にしています。また本当はまだ元服前で幼名辰千代を名乗っていたのですが、それだと誰のことかわからないので、「忠輝」のままにしています。こうしたところは当時の認識と後世の認識のどちらを取るのか、難しいですね。

 大坂城大広間の床の間です。なかなか本物観のある装飾になっているんですよね。

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