MENU
アクセス
  1. トップ
  2. 学部・研究科レポート
  3. 大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(17)

学部・研究科レポート

2016.05.23

大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(17)

法学部教授 黒田基樹

 5月22日(日)に放送された第20回は、結構盛りだくさんの内容だったんですね。
信繁らが尾藤道休を尋問しているなかで、「刀狩り令」と「喧嘩停止令」のことが出ていました。前者は天正16年(1588)に発令されたもので、百姓からの武器の没収しようとしたもの、後者はさらにその前年あたりから実行されていたもので、村同士の合戦を禁止しようとしたもの。ともに百姓の「自力救済」の凍結をすすめていくものになります。

 聚楽第の落書(らくしょ)の話も史実で、『多聞院日記』という史料に出てくるものです。事件は天正17年2月25日のこと、その日に番衆10人が牢に籠められ、3月18日に番衆17、8人が磔にされました。
 現在からみると何と理不尽な、と思われるでしょうが、当時の慣習からすると、一定の妥当性もあるのです。事件が起きた場所の人々は、加害者と同類とみなされたのです。

 また犯人に仕立て上げられた尾藤道休が、大坂本願寺に逃げ入っていたという設定。これも『多聞院日記』に、秀吉から勘当されたものが本願寺に匿われた、ということが載っていて、それを先の落書事件と組み合わせているんですね。三谷さんの博識には驚きです。
 そしてその解決方法としての身代わり。これも当時は「解死人」の慣行といって、身代わりを出すことで問題を解決するという方法がとられていました。信繁の発案は、まさにこれにあたることになります。

 最後に、落書(短歌で書かれているので落首とも)についての石田三成の発言。「民の声だ」というもの。当時、落書は匿名による告発、批判といったもので、匿名であるがゆえに、世間の意思あるいは神の意志とみなされていた、とも考えられているものなんですね。
 このように今回の話には、いろいろな戦国時代の社会慣習が取り上げられていたんですね。最後におまけ。聚楽第の庭のセットです。植木もかなり凝っていますよね。

20160521law_05.jpg

関連リンク

学部レポート

    PAGE TOP