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学部・研究科レポート

2016.05.09

大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(15)

法学部教授 黒田基樹

 5月8日(日)に放送された第18回では、天正15年(1587)2月における真田昌幸の羽柴(豊臣)秀吉への上洛・出仕、同年3月の駿河駿府城での寄親となった徳川家康への出仕が扱われていました。

 昌幸が秀吉に出仕した時期については、実は近年まで明確ではありませんでしたが、それを記した史料が新しく確認されたことでわかったのです。そのことを記しているのは、今のところ私の『真田昌幸』(小学館)だけのようですね。

 さてこの回で、いよいよ「惣無事令」がセリフとして登場しました。すでにその内容については、前回までのうちに何度となく出てきていましたが、昌幸の秀吉への出仕に合わせて、この用語を登場させています。惣無事令の遵守は、秀吉に服属することと一体のことでしたので、そのことがより印象付けられるようにという、ちょっとした工夫といえるでしょう。

 昌幸は、徳川家康の与力にされますが、これも史実です。おそらくは家康が秀吉に従属するにあたって出していた要求と思われ、秀吉はそれを実行したのです。一応、昌幸と家康との間の領土問題については、秀吉が裁定するという配慮がされましたが、秀吉が家康の要求を優先したことには違いないでしょう。昌幸はどんな感慨を抱いたか、ドラマでの表現に近かったかもしれません。

 ちなみにその時、昌幸だけでなく、小笠原貞慶・木曾義昌の他の信濃国衆も家康に与力として付けられました。後に家康が関東に転封になった際、小笠原・木曾は完全な家康家臣にされてしまいます。昌幸だけは独立大名の立場を認められるのですが、ドラマでの、家康の家臣にされてしまうかも、という昌幸の不安は、実際にもかなりの確率で存在していたのでした。

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