知恵の旅人 - インタビュー

箱根駅伝出走の夢を
叶えるためにした
3つのこと
叶えるためにした
3つのこと
駿大を選んだ理由
久保 俊翔
メディア情報学部 2年
鹿児島県・鹿児島高等学校
※登場する人物の在籍年次や所属、活動内容等は取材時(2025年1月23日)のものです。
箱根駅伝への夢の道

箱根駅伝を知っていますか?私は小学生の頃にテレビで見た箱根駅伝が忘れられません。人がこんなにも長く、そして早く走れることを知った当時の衝撃は今でも覚えています。
私は中学から陸上を始めました。駿河台大学に進路を決めたきっかけは2022年の98回箱根駅伝。駿河台大学は初出場し、私の通っていた高校のOBも駿河台大学の選手として出走しました。そのときの徳本監督の熱い応援とそれに応える選手たちがとても輝いて見え、この監督のもとで箱根駅伝を目指して走りたいと思い駿河台大学に入学しました。
しかしながら現実は甘くなく、他の入学した特待生の級友中で持ちタイム、実力共に1番下。監督やキャプテンからも「今の実力じゃ勝負できないからまずは練習を全部こなせる体づくりを頑張れ。」と言われる始末でした。そこで実力がない私が箱根駅伝出走の夢のために何をすれば良いのかを考えて3つ目標を立てました。
1つ目は、どんな練習でも他の選手に喰らいついて走る。2つ目は、自分自身の得意なこと苦手なことの洗い出しと改善。3つ目は、監督、スタッフの人と仲良くなる。この3つを目標に1年間走り続けました。すると、実力がメキメキとつき始めて挑戦することの楽しさや自信が出てきました。この目標を元にトライアンドエラーの精神で続けた結果、箱根駅伝10区(アンカー)出走につながり、1年目にして小学生のときに夢みた箱根駅伝に出場を果たすことができました。
夢に向かって全力で挑戦できる環境が整っている駿大。これからは学業でも挑戦を続けていこうと思います。
私は中学から陸上を始めました。駿河台大学に進路を決めたきっかけは2022年の98回箱根駅伝。駿河台大学は初出場し、私の通っていた高校のOBも駿河台大学の選手として出走しました。そのときの徳本監督の熱い応援とそれに応える選手たちがとても輝いて見え、この監督のもとで箱根駅伝を目指して走りたいと思い駿河台大学に入学しました。
しかしながら現実は甘くなく、他の入学した特待生の級友中で持ちタイム、実力共に1番下。監督やキャプテンからも「今の実力じゃ勝負できないからまずは練習を全部こなせる体づくりを頑張れ。」と言われる始末でした。そこで実力がない私が箱根駅伝出走の夢のために何をすれば良いのかを考えて3つ目標を立てました。
1つ目は、どんな練習でも他の選手に喰らいついて走る。2つ目は、自分自身の得意なこと苦手なことの洗い出しと改善。3つ目は、監督、スタッフの人と仲良くなる。この3つを目標に1年間走り続けました。すると、実力がメキメキとつき始めて挑戦することの楽しさや自信が出てきました。この目標を元にトライアンドエラーの精神で続けた結果、箱根駅伝10区(アンカー)出走につながり、1年目にして小学生のときに夢みた箱根駅伝に出場を果たすことができました。
夢に向かって全力で挑戦できる環境が整っている駿大。これからは学業でも挑戦を続けていこうと思います。
なぜメディア情報学部へ

なぜ私がメディア情報学部を選んだのか、それは音や映像の分野からスポーツと向き合ってみたいと考えたからです。箱根駅伝を例に挙げると1月2日・3日にあるテレビ放送はもちろんのこと、新聞やラジオ、WEBサイトといった様々なメディアツールで箱根駅伝というコンテンツを発信しています。私はその仕組みを学び、メディアの面からスポーツを盛り上げたいと考えたのでメディア情報学部に決めました。