法学部

じゃがいもの話

法学部元教授 勝田 有垣

コロンブスがアメリカ大陸を発見して、いろいろな物を旧大陸に持ちかえった。トマト、トウモロコシ、唐がらし、タバコ等々。しかしそのなかで世界史にもっとも大きな影響を与えた野菜といえば、なんといってもジャガイモである。ドイツにいた時は、随分お世話になった。なにしろあそこはヨーロッパでのジャガイモの名産地であり、八百屋でなくて専門店で様々な種類が売られていて、それぞれ用途が違い、種類に適した料理がある。ドイツに長かった恩師は、「君、ジャガイモをナイフで切ると失礼になる。毒薬を仕込んだかを調べていると思われる」とご教示を頂いた。確かにドイツのジャガイモは美味しいし、実によく食卓に登場する。フォークで潰して食べるのが礼儀とか。

アンデス山脈の痩せ屋根で、インディオが収穫している原種は、せいぜい3センチほどの貧弱なイモである。だがこのジャガイモをコロンブスが輸入して後に、このイモは、ヨーロッパとアメリカに、数奇な歴史物語を演出するのである。ヨーロッパに輸入された当初は、もっぱら花が観賞された。確かに北海道美瑛の丘を、白く赤くし美しく彩る。だがイモは聖書に載っていないため、16世紀のヨーロッパ人は食べるのをためらったのである。このイモは、どんなに痩せた土地でも立派に育った。プロシャのフリードリッヒ大王は、飢餓に強いこの作物の栽培を命じている。ドイツではまたどんドングリに代わる餌として、豚の生産量を飛躍的に増大させたという。その昔私も砂地で栽培したことがある。木灰さえ施せば、5月末根元を探るのが楽しみだった。ジャガイモでプロシャが豊かになったと聞いて、ルイ16世はジャガイモの花をボタンの穴に指し、アントワネットもこれにならって、ジャガイモの普及に努めたという。

ケルト人にキリスト教(カトリック)を布教したのは、聖パトリックである。そして不毛の地アイルランドは新しい作物ジャガイモに頼った。17世紀始めには全土に普及したが、製粉の必要も無く、取れたイモを豊富な泥炭で煮て食べればよいし、農具もあまり要らないから、ためにアイルランド人は粗暴で怠け者になったという説がある。ししてアイルランドの人口は飛躍的に増加したが、ピューリタンのクロムウエルが侵入し、土地を奪い、ケルト人を奴隷化し、土魂さえ乏しくジャガイモしか取れない地域に追いやった。

しかし人口は、19世紀の初めには17世紀の10倍になったという。だが19世紀中頃に悲劇が訪れる。ジャガイモが腐敗する疫病が蔓延した。取れたいもが一滴にして腐る。「膨れ上がったジャガイモの貯蔵庫から、鼻をつく異臭がしていた。イモを手に掬い上げると、黒く変色したイモが指の間からドロリと滴り落ちた。」とアイルランド独立を描いた作家レオン・ユーリスは書いている。ブドウの消毒薬のボルド一滴で疫病を退治するのに数年を要した。飢饉は4年に及び、100万人が餓死した。そして150万人ものアイルランド人が、リバープール港からアメリカに渡っていった。ここに留まったアイルランド人もいた。だから、リバプールには、ケルト系が多いのだが、ビートルズもその子孫である。命からがら出た。その息子の三代目は銀行家、事業家として成功し、フランクリン・ルーズベルトを支持して駐英大使になった。この人の次男が、あのジョン・F・ケネディーである。50年代ニュウ・フロンティアを説いたアメリカの希望の星であったが、惜しくも1963年凶弾に倒れた。彼が大統領になって一番驚いたのは、イギリスにいる人であろう。「あのジャガイモ野郎も、植民地に行けば大統領になる」と。ヨーロッパでは軽蔑するときに、よく食べ物のことをいう。フランス人はベルギー人を「ジャガイモ野郎」というし、食事にコーラを飲むアメリカ人はカエルで、ドイツ人の蔑称は、「くらうと=キャベツ野郎」である。アイルランドにはネケディーの貧しい家が今に保存されている。

ジャガイモがアイルランドに渡って、ケルト人の命を繋ぎ人口を増やしさえした。今でもアイルランド人の生産量はヨーロッパ一番とか。品種では、メークインが有名である。だがジャガイモの疫病による飢饉がもしもなかったとしたら、ケネディー大統領も無かった。今アイルランドの人口は450万人に過ぎないが、ジャガイモ飢饉等でアメリカ等に渡ったアイリッシュ系移民の子孫は、7千万人もいるという。ニューヨークの祭りの中心聖パトリック教会は、WASP(白人、アングロ・サクソン、プロテスタント)を中核とするアメリカにあって、カトリックであり、祭りには15万人ものアイリッシュが緑とクローバーのシンボルマークを手に参加するという。そういえばほかにも、レーガン大統領、ジョン・ウエイン、ジョン・フォード、モーリン・オハラ、そして「風とともに去りぬ」の作者マーガレット・ミッチェルも、皆ジャガイモの子であって、「南北戦争後ビビアン・リー扮するスカーレットが再建を誓うタラは、アイルランドの聖地の名なのである。

ジャガイモは日本には比較的早く、16世紀末長崎にオランだ船でジャワのジャカルタからもたらされたので、ジャガタラ薯と呼ばれた。形が馬の鈴に似ていたので、馬鈴薯ともいう。17世紀末から食用にされ、凶作の年には威力を発揮した。北海道の開拓では川田男爵が栽培を広め、そのときの品種を「男爵イモ」と呼んだ。ジャガイモ栽培には寒い気候が向いているから、日本では北海道が美味で、暖かいところはどうも水っぽいような気がする。ジャガイモは兼価な癖のない食べ物で、蒸してバターや塩をつけるだけも美味しく食べられる。スイスのチーズ・フォンデゥは有名だが、ジャガイモを蒸しておき、ラクレットというスイス独特のチーズと、フライパンでいためるように暖めて食べると非常に美味しい。これもほかにチーズくらいしかなかった貧しいスイス農民の智慧から生まれた、簡単だが、しゃれたジャガイモの食べ方である。スイスでは巨大なラクレットの固まりを暖炉で融かして食べる。しかしジャガイモを長く保存しておくと芽をふくが、これは湯毒だからご用心、ご用心。

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