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第3回歴史探訪報告 「大学と文士の街・本郷を歩く」

2019/10/22授業風景

現代文化学部准教授  長尾 建

 6月22日(土)に実施した、第3回歴史探訪「大学と文士の街・本郷を歩く」について、報告いたします。
 当日は梅雨雲が時折非情な強い雨を降らせてはしばし止む、不安定な天候でした。学生にはビニール傘を購うよう促しましたが、あえて雨に濡れる男子学生は昔から変わりません。学生たちは時間通りに地下鉄千代田線「千駄木駅」に集合し、千駄木から本郷、御徒町まで散策しました(当初予定していた上野は、雨のため割愛しました)。鬱陶しい雨の中、それでも指示通りに学生が動いてくれたので、恙なく行程をたどれました。

 今回も昨年同様、森鴎外の小説『青年』にちなんだルートを、逆からたどりました。まず団子坂を上っていきましたが、ここは夏目漱石の『三四郎』にも出てくるように、江戸時代から「菊人形」の見世物興行が盛んであった場所です。かつてその賑わいは驚くべきものでしたが、一人「菊人形」を事前学習してきた学生は、団子坂の狭さに驚いていたようでした。銀座通りや浅草六区をイメージしていたのでしょうか。団子坂上左には現在森鴎外記念館があります。ここで学生は、特別展「一葉、晶子、らいてう―鴎外と女性文学者たち」を、1時間弱観覧、勉強しました。

20191005gendai_05.jpg森鴎外記念館

 森鴎外記念館の場所は、かつて鴎外自身が住まった場所で、「観潮楼」と呼ばれました。もちろん、かつて千駄木の本郷台地にかかる場所からは遠く海が見渡せたわけで、今でも「汐見」という地名が残っています。「観潮楼」では定期的に歌会が催され、鴎外は「明星」や「スバル」の若手作家ともしばしばそこで語らったのでした。その崖沿いには藪下通り(竹下通りではない!)というけものみちのような小路があり、当時の若手作家らはそこを通って、本郷界隈から「観潮楼」に通ったそうです。今回はその当時に思いを馳せつつ、道を逆にたどりました。

 次に到着したのは根津神社です。一説によると、1900年前日本武尊が創建したという由緒ある神社です。今年も留学生が含まれていたので、手水と参拝の仕方を説明してからお参りしました。例年のことですが、手水はおろか参拝の作法も知らない日本人学生がいることに、やはり驚きました。お神籤を勧めてみましたが、なぜか今年の学生は皆躊躇していました。

20191005gendai_06.jpg根津神社

 次に東京大学に向かいました。途中弥生式土器発掘ゆかりの地の碑を見学しました。さらに東京大学では、安田講堂を外から見学しました。正直、外観(あるいは内部)を見ても何の感慨も湧かないのですが、学生運動を事前学習してきた学生が多かったようで、もちろん稿者自身その歴史や事実は知っているのですが、彼らからその当時の熱気や雰囲気を聞くにつけ、学生から教えられたような心持ちがしました。さらに、その後赤門を見学しました。赤門は相変わらず外国人観光客が目立ちました。また、学生にしても、あるいは赤門はテレビなどで見たことがあるだけに、あまり反応がありませんでした。事前授業、事前学習の必要性を痛感するとともに、一方説明書きの看板の場所を教えると積極的にそれを読むなど、教えられて初めて動く今の学生を見た気がしました。

20191005gendai_07.jpg安田講堂

20191005gendai_08.jpg赤門

 昨年は、さらに森鴎外の『雁』で有名な無縁坂を下り、不忍池、上野公園と散策を続けたのでしたが、今年は断続的な雨のために上野公園を諦め、東京大学から御徒町へと下っていきました。そして最後に、アメ横をその途中から御徒町駅方向に散策しました。アメ横とはもちろんアメヤ横丁のことであり、戦後のいわゆる闇市の面影を残す商店街です。アメ横と言えば、常に眼もくらむほどの賑わいを見せている商店街ですが、この日は土曜日にもかかわらず、おそらく雨のせいでしょう、人出は少なく感じました。学生たちはそれでも人の多さに驚き、はぐれないように歩いていたのが印象的でした。あるいは、外国人の多さに圧倒されたのかもしれません。アメ横の御徒町側の出口を出たところでひとまず解散とし、第3回の探訪を終了しました。学生の中には、さらにアメ横の探索に出かけたものもいたようです。

 最後に、学生からの感想を二、三。
 「今回の歴史探訪の授業を通して、森鴎外という馴染み深い人物のゆかりある名所を巡ったので、鴎外の足どりをたどることができた。」(S・H 男性)
 「普段何も気にしないで行ったりしている場所にも様々な歴史があると思うので、その場所の歴史を知るのは大切なことだと改めて思った。」(H・M 男性)
 「(東大について)大学内は非常に広く、建物はその頃入ってきた西洋的なものを多く取り込んでいるところが、印象的であった。安田講堂で学生運動があったことなどを聞き、安田講堂はただの講堂としての役割だけではなく、多くのことを建物から学ぶことができるんだと考えた。」(M・H 女性)



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