お知らせ

学生の皆さんへ-退職される先生方からのメッセージ-

2017/03/18コラム

 卒業シーズンとなりました。
 3月は学生たちの卒業を迎えると同時に、退職される先生方とのお別れの時節でもあります。現代文化学部では、本年度をもちまして2人の先生が退職されることになりました。福永昭先生(観光学)、増田久美子先生(アメリカ文学)です。
 長年本学の教育に熱心に取り組まれてきた先生方から、とても大切なメッセージをいただきました。先生方の思いが、どうか皆さんに届きますように!

『富岡日記』~退職のご挨拶に代えて~

現代文化学部 福永昭教授

20170317gendaibunka_01.JPG 長年、現代文化学部でお世話になりましたが、このたび退職を迎えることになりました。みなさんに、この場を借りてご挨拶をさせてください。

 みなさんは『富岡日記』(和田英著、中公文庫)を知っていますか。群馬県の富岡製糸場は日本初の官営製糸工場であり、2014年に世界遺産となりました。著者の和田英はその初代の女工であり、そのときに書いた日記がこの本です。富岡製糸場は高崎駅・上州富岡駅に近く、本学からも2時間程で行くことができます。

 和田英は長野市松代に生まれ、1873年に富岡市の富岡製糸場に加わり、最先端の製糸技術を学びます。翌74年には松代に戻り、同地に設立された民営の機械製糸場である六工社(ろっこうしゃ)の立ち上げと女工の技術指導にあたりました。

 富岡製糸場では、責任者であるフランス人ポール・ブリューナにより和田はその優れた技術により一等工女に認定されています。

 「毎朝(糸)繰場(いとくりば)へ参るのが楽しみで、夜の明けるのを待ちかねるくらいに思いました。...業(わざ)は進みますだけ楽で面白くなりますから、少しも退屈しません。」「業(わざ)が上達いたしますと、同じ枠をはずしますにも上達した人を先にいたします。書生はもとより中廻りでもいつもにこにこして、何を頼みましても直に聞き入れてくださいます。」「我が業(わざ)を専一にいたしまして人後にならぬよう続けていますと皆愛してくださるよう思われます。」

 富岡製糸場から地元の松代に戻るときは、和田の人力車を先頭に、17台が連なって故郷に帰ってきました。「夢うつつの心地で家にたどりつきますと、...皆が羽織袴の礼服で出迎えに出ていました。その盛んなことはちょうど昔の殿様のお通りの時のような有様でありました。」

 六工社に戻った和田はまだ18歳でしたが、女工たちの代表としていろいろと経営者側と交渉を続け、工場長が和田の家に説得や挨拶に来るようになりました。

 和田は武士の子女でありながら酒をたしなみ、また、「八算総まくり(そろばんの九九計算)は湯に入りますと大かた忘れてしまいますので、二三日も入湯いたさずにいたこともありました。」とも述べています。

 当時は、女工を「末は雲助」とあざ笑う村人もいましたが、まったく気にもしませんでした。

 後日、和田とその仲間は、富岡製糸場から、「今一度、富岡製糸場に戻ってくれ。」と懇願されますが、和田は六工社があるからと断っています。日本一の規模と設備を誇る官営富岡製糸場からの誘いも、和田はかんたんに退けています。

 この日記は、終始とても控えめな語調ではありますが、和田は自分の女工としての半生にとても満足し、自慢していることが、はっきりとわかります。

 明治時代の女工の物語ではありますが、すこしも哀れさを感じさせることはなく、むしろ、自分の業(わざ=技術)を高めることによって、自由に生きることができ、他の人からも賞賛を得ることができることを、私たちに見せてくれます。
 
 わたしにとっての「シュリーマン伝」です。



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