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学部・研究科レポート

2017.09.30

フィールドトリップI第4回 東洋文庫と日本庭園

現代文化学部 小林将輝准教授

 日本は東洋の島国などと言われますが、そもそも「東洋」とはどこを指すのでしょうか?また、「日本らしさ」や「日本風」というのは、具体的にどのようなものがそれにあたるのでしょうか。
 西洋人から見て日が昇る「東」の方角にある「東洋」は、彼らの住む土地の彼方にあり、長い時間をかけて、徐々に見聞を広めていった地域です。彼らは古くから東洋に関心を寄せ、記録を取り、熱心に研究しました。やがてそれは「東洋学」として花開き、膨大な研究が集積されていくことになります。東の最たる地にある日本も、マルコ・ポーロの『東方見聞録』以来、黄金の国ジパングという憧憬の対象であり、江戸時代には、鎖国によって閉ざされた神秘的な異国として関心を集めてきました。
 7月8日(土)に行われた「フィールドトリップI」の第4回授業では、駒込にある東洋文庫と六義園を訪れました。東洋文庫は日本での東洋学研究の拠点であり、そのミュージアム部分では様々なユニークな東洋に関する資料を直接見ることができます。また、六義園では日本の伝統的な、そして、とても巨大な庭園を歩いて回ることができます。

見学コース

 【東洋文庫ミュージアム】
 三菱岩崎家三代目当主の岩崎久彌が1924年に設立した東洋学分野の専門図書館です。東洋学文献の収集家ジョージ・アーネスト・モリソンのコレクションから購入された洋書2万4千冊が図書館の基礎となっています(モリソン文庫)。総蔵書数は約100万冊にもなりますが、併設されたミュージアムに展示されているのはその一部にすぎません。

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 【六義園】
 元禄8年(1695年)に柳沢吉保が五代将軍徳川綱吉からこの土地を拝領し、造成した回遊式の日本庭園です。明治時代になると三菱創業者の岩崎家の所有になり、昭和18年(1943年)には東京都に寄付されました。

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 最後に、学生のレポートから2点、紹介しておきます。


 今回のフィールドトリップは東洋文庫と六義園へ行きました。私は東洋文庫の事について書きます。今回行った東洋文庫には、アジアである「東洋」の書物がびっしり置かれている本棚や、鯉のぼりやナマズといった大迫力な絵などがありました。
 その中でも一番興味を持ったのが、「しんよし原大なまづゆらひ」です。この絵は地震の最大の犠牲者となった遊女達が描かれ、他の業種の人々と共に地震を起こした原因といえるナマズを懲らしめている絵です。なぜこの絵に興味が湧いたかというと、他の作品より一段と迫力があり、私は昔の絵で動物や妖怪などが描かれている絵が大好きで教科書などで何度か見たことはありましたが、生で見られたのでとても感動しました。なのでこの絵に一番興味を持ちました。(現代文化学部1年 石井颯)


 第4回のフィールドトリップでは、「駒込の東洋文庫と日本庭園」に行きました。私が一番印象に残った場所は、日本庭園である「六義園」です。私は庭園が好きなのでとても楽しみにしていました。まず入場して早々、着物を着ている方がいて周りの和の風景ととても合っていました。散策して思ったことが、景色が和で、さまざまな角度から見てもとても美しく、目にも良くて気持ちが良かったです。池には鯉が、渡月橋にはたくさんの亀や蝶など、たくさんの生き物がいて庭園の美しさをさらに引き立てていました。
 一周回り終わったので別の道から再び回ろうとしたのですが、その道は1時間あまりのお散歩コースで、集合時間が迫っていたこともあり、迷ってしまったので回れませんでした。その際、その道をお年寄りの方が元気に歩いていたので、とても若いなとほっこりしました。入場料が思ったよりお手頃だったので時間ができたら親と再び訪れてのんびりとお散歩したいと思いました。(現代文化学部1年 バルア ミティラ)

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