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学部・研究科レポート

2017.05.27

第1回歴史探訪実施報告 「横浜からみる日本の近代化」

現代文化学部 長尾建 准教授

 4月22日(土)の朝、歴史探訪を履修した学生たちが、みなとみらい線日本大通り駅の改札前に集まりました。この日は雨上がりで薄曇りの過ごしやすい陽気でしたが、早速横浜の山下地区、山手地区を散策しに出かけました。

 まず訪れたのは横浜三塔と呼ばれる建物です。横浜は1923(大正12)年9月1日、関東大震災の直撃を受けました。ご存じのとおり東京では地震に伴う火災で多くの人命が失われましたが、横浜は震源地に近いこともあり、建物の倒壊で多大な損失を被りました。そのような中で、山手地区では3つの塔が倒壊を免れ、現在でも横浜三塔として現存しています。神奈川県庁(キングの塔)、横浜税関(クイーンの塔)、横浜市開港記念会館(ジャックの塔・写真1)です。

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写真1

 次に訪れたのは山下公園です。実は山下公園は、関東大震災で出た瓦礫を埋め立ててできたものです。この公園に係留されている「氷川丸」の内部を見学しました(写真2)。「氷川丸」は太平洋戦争以前に日本とアメリカを結んだ、当時の豪華客船です。戦争中は病院船としても活躍し、戦後再びアメリカ航路に就航しました。この日は山下公園横の大桟橋に現代の豪華客船が停泊しており、新旧豪華客船を比較することができました(写真3)。

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写真2

写真3

写真3

写真4

写真4

 最後に訪れたのは、港の見える丘公園の神奈川近代文学館です。今年は明治の文人正岡子規の生誕150周年にあたり、特別展「正岡子規展 病牀六尺の宇宙」が開催されていました(写真4)。学生たちはワークシートを片手に、これを小一時間ほど見学しました。
 解散はみなとみらい線元町・中華街駅だったので、学生を中華街まで案内して、そこで解散しました。学生たちは長時間の探訪にもかかわらず、元気そうに帰宅の途につきました。

学生のレポートから一節

 「子規の生涯は34年と、現代からしたら実に短いものであった。「脊椎カリエス」のため、床に伏してからの子規の心情はとても重いものであったことが予想される。だがそんな中で、随筆集「病牀六尺」など、死の直前まで創作活動をしていたことから、正岡子規がどれだけ創作活動が好きだったのかがわかる。時には痛みのあまり、自殺を考えたこともあったようだが、それでも病に負けずに最後まで生き抜いたのはすばらしいことだと思う。」(I.A 女子)

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