現代文化学部 法学部からのお知らせ

観光研修実施報告(2)ドイツ、ベルリンの博物館島

2015/11/05 授業の一風景

現代文化学部 小林将輝准教授

 現代文化学部、観光ホスピタリティーコースには、国内外の観光資源を実地視察する「観光研修」という科目があります。本年度の研修地はドイツ連邦共和国です。9月7日(月)から15日(火)までの6泊9日の日程で行われました。第2回となる今回は、前回のライン渓谷、ケルン編に続き、ボン、ベルリン編をご紹介します。

【4日目】 ボンと移動日:ボンの街とドイツの高速鉄道ICEに乗ってベルリンへ

 4日目の午前中はボンの散策です。ボンは第2次世界大戦後から1990年の東西ドイツ統一後にその座をベルリンに渡すまで、ドイツ連邦共和国の首都でした。首都というにはそれほど大きな町ではありませんが、いまだに多くの行政機関が残り、国際会議なども頻繁に行われるドイツの重要な都市のひとつです。

 他方、ボンは名門ボン大学やベートーベンが生まれた町としても知られています。私たちはまずボン大学を見学し、その次にベートーベンの生家を訪問しました。ベートーベンの家ではドイツの古い家の狭いつくりに学生たちも驚いていました。最後に訪れたのは街の中央の広場にすらりと立つミュンスター教会です。教会本体はロマネスク様式らしく左右対称のつくりをしており、また、美しい回廊も付随しています(左)。学生たちはこの回廊を物憂げに一巡りし、歴史に思いを馳せていたようです。町を出る前にパン屋で軽くお茶を飲んで、ボンとはお別れです(右)。

ドイツ、ベルリンの博物館島 ドイツ、ベルリンの博物館島

 ボン中央駅では、ドイツが誇る高速鉄道ICEに乗り(左)、約500キロの道のりを一路東へ、ベルリンに向けてひたすら走ります。ドイツ人は几帳面だとよく言われますが、ここ最近はそうでもなく、電車の遅れは日常茶飯事だそうです。幸いなことに私たちが載る便は予定通りに到着しました。道中では何度も風車が乱立する風景に出合いました。ドイツが再生エネルギーに非常に力を入れていることを垣間見ることが出来ました(右)。

ドイツ、ベルリンの博物館島 ドイツ、ベルリンの博物館島

 ICEに5時間ほど乗ってベルリン中央駅に着きました。ここから市営バスから路面電車へと乗り継いでホテルに向かいます。しかし、折悪く振ってきた雨でバスや路面電車は超満員。ベルリンは治安が悪く、公共交通機関では泥棒には最大限の注意を払わなくてはなりません。そのため、ホテルに着くまでの立ちっぱなしの1時間半は、とても緊張感にあふれた時間になりました。
 さて、ようやくホテルにたどり着いたと思ったら、このホテルにはレストランが無く、周りにも夕食を取るような場所はありませんでした。それで再び路面電車に乗り、3つ離れた駅のスーパーまで買い出しに行くことにしました。ドイツに住んでいる人と同じようにスーパーで買い物をしたことは貴重な体験だったと言えるでしょう。

【5日目】ベルリン(1):壁の記憶と博物館の島

 本日の午前中はガイドさんによるベルリン・ガイドツアーです。最初にベルリンの治安の悪さと注意すべきことについて詳しいレクチャーを受けました。ベルリンに長年住むガイドさんでも、今年に入って2回もスリに合いそうになったとのことで、安全な日本とは違うということをひしひしと感じました。

 チェックポイント・チャーリーは戦後、ベルリンが東西に壁で分割されていた時代に西ドイツ側の検問所があったところです。ガイドさんから説明を受けながら、そのまま歩いてテロのトポグラフィーに。これは「恐怖政治の地勢学」とういうような訳だと思うのですが、この場所にはかつてナチの親衛隊(SS)や秘密警察(ゲシュタポ)があり、現在はそれを展示しているギャラリーやベルリンの壁などが残されていて(左)、当時の様子を風景のようなイメージとして捉えることが出来る場所です。さらに歩いてポツダム広場へ向かいます。ここは東西分裂時代には壁があった場所でしたが、統一後は急激に再開発が進み、モダンな高層建築群が立ち並ぶベルリン一のホットな場所となりました(右)。

ドイツ、ベルリンの博物館島 ドイツ、ベルリンの博物館島

 そのまま北に進めばホロコースト慰霊碑があります。ナチスの犠牲になったユダヤ人たちを慰霊するため、黒い柩のような石がずらりと並んでいる場所です。ここでは学生の一人が中を歩きたいと提案があり、中を歩くことにしました。しばし各自で無言で散策をし、過去の悲劇や歴史の暗い側面に思いを馳せることになりました。

 その後はティーアガルテンを経て、ベルリンのランドマークともいえるブランデンブルク門(左)、連邦議会を見学しました。最後はハーケッシャー・ヘーフェに到着です。かつてユダヤ人職人たちの工房件住居だったこの建物は、現在ではその中庭(ヘーフェ)にショップやカフェ、アトリエなどが並ぶベルリンのオシャレスポットの一つです(右)。

ドイツ、ベルリンの博物館島 ドイツ、ベルリンの博物館島

 ずいぶん歩いておなかが空いたので、ガイドさんオススメのベルリン名物カレーソーセージで軽く昼食を取りました。ガイドさんとはここでお別れとなりましたが、このガイドツアーを通して、学生たちは積極的にガイドさんに話しかけ、質問を投げかけていました。後で聞くとガイドさんがとても話しかけやすかったからということですが、ガイドさんの話を聞きながら学生たちも様々な刺激を受けていたようです。

 昼食後は博物館島にやってきました。これはドイツ国内、いや世界的に見ても重要な5つもの博物館と美術館が集中している島で、世界遺産にも登録されています。

 私たちが最初に訪れたのはペルガモン博物館です。古代オリエント、ギリシア地域の貴重な考古学的資料を収蔵している一方で、ユニークなのは、発掘した遺跡を再構築して当時の様子のままでダイナミックに展示している点です。残念ながら現在はリニューアル工事が行われており、幾つかの遺跡は見られませんが、美しいバビロニアのイシュタール門(左)やミレトスの市場門などは見ることが出来ました。

 ペルガモン博物館の後は、学生たちが好きな博物館をもう一つ訪れることにしました。学生たちは古代エジプトのネフェルティティの胸像を収蔵していることで有名な新博物館と、ギリシア・ローマの彫刻などを展示する旧博物館(右)に分かれ、それぞれ時間を過ごしました。

ドイツ、ベルリンの博物館島 ドイツ、ベルリンの博物館島

 この日は最後に大ショッピングアーケード「モールオブザベルリン」で買い物と夕食を取りました。夕食は中国からの留学生の提案でアジアン料理を食べました。フードコートのレストランでしたが、久しぶりになじみのある食べ物で学生たちはホッとしたようです。

コラム 東西冷戦の象徴としてのベルリン


 第二次世界大戦で敗れたドイツは、戦後はアメリカをはじめとする西側陣営に、東側は旧ソビエト連邦によって分割統治され、いわゆる西ドイツと東ドイツとなりました。そしてベルリンも同様に東西に分割統治されることになりました。そして1961年になると、ソ連は町の東西の境界に壁を築いてしまいます。これが有名な「ベルリンの壁」で、以後ベルリンは東西冷戦の象徴となります。民主化の波によってこの壁が民衆によって壊されたのは1999年のことです。翌年に東西両ドイツは再統一を果たして、ベルリンも再び一つになり、統一ドイツの首都ともなりました。ベルリンはこのようにドイツの激動の歴史に翻弄された町であり、また、統一ドイツという新しい時代を象徴する二つの面を持った町だと言えるでしょう。


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