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- 大河ドラマ「豊臣兄弟!」ワンポイント解説第13回
学部・研究科レポート
駿河台大学法学部教授・黒田基樹
本学法学部の黒田基樹教授は、日本史の中でも戦国史について研究をしており、2026年1月から始まったNHK 大河ドラマ「豊臣兄弟!」の時代考証を担当しています。 時代考証とは、八津弘幸さんが書かれている脚本が出来上がるまでに、史実と脚本に違いがあるかないか、時代感が合っているかどうか、などチェックする仕事です。
第13回は、元亀元年(1570)4月の、織田信長による若狭・越前進軍が取り上げられていました。最後の部分で、北近江の浅井長政の離叛の場面が出ていました。このあと信長軍は越前金ケ崎城から退却、その際に秀吉が殿軍(しんがり)を務めるのですが、それは次回の話で、今回はその前振りになっています。
前半の20分は、小一郎・藤吉郎のそれぞれ夫婦と家族の話になっていました。小一郎とお慶の結婚は、この時期に設定されていました。前回で触れたように、お慶の安藤守就娘というのは、ドラマ上の設定で、この結婚時期も同様です。
そして後半の20分ほどで、信長の若狭・越前進軍という、政治的な話になっていました。そしてそこで、信長の妹・お市と結婚していた浅井長政が、越前朝倉家に味方し、信長方から離叛していました。
浅井家と朝倉家の関係は、前回のところで取り上げられていたように、浅井家は朝倉家に従属する関係にありました。そして長政の長男・万福丸は、朝倉家への人質として越前に送られました。
万福丸は永禄7年生まれ、長政とお市の結婚は同10年なので、万福丸はお市の子ではないと考えられます。これまでの大河ドラマでは、万福丸をお市の子とすることを前提に、それ以前の時期にお市の結婚を設定していましたが、ここは私の見解(『お市の方の生涯』)が採用されたかたちになっています。 浅井家が朝倉家に従属するようになったのは、永禄3年頃、浅井家がそれまで従属していた南近江の六角家から離叛し、六角家と抗争するようになった時のことと推定されます。従属先の大名を、六角家から朝倉家に乗り換えた、というかたちになります。
万福丸が朝倉家に送られた時期は判明していませんが、私はこの元亀元年頃と推定しています。時期は、浅井家が信長と全面戦争に突入した同年4月以降のこととみています。しかしドラマでは、前回取り上げられていて、それより1年前の時期に設定されていました。これはドラマにおいて、浅井家と朝倉家の関係の深さをわかりやすく表現するため、ということでしょう。
前半の20分は、小一郎・藤吉郎のそれぞれ夫婦と家族の話になっていました。小一郎とお慶の結婚は、この時期に設定されていました。前回で触れたように、お慶の安藤守就娘というのは、ドラマ上の設定で、この結婚時期も同様です。
そして後半の20分ほどで、信長の若狭・越前進軍という、政治的な話になっていました。そしてそこで、信長の妹・お市と結婚していた浅井長政が、越前朝倉家に味方し、信長方から離叛していました。
浅井家と朝倉家の関係は、前回のところで取り上げられていたように、浅井家は朝倉家に従属する関係にありました。そして長政の長男・万福丸は、朝倉家への人質として越前に送られました。
万福丸は永禄7年生まれ、長政とお市の結婚は同10年なので、万福丸はお市の子ではないと考えられます。これまでの大河ドラマでは、万福丸をお市の子とすることを前提に、それ以前の時期にお市の結婚を設定していましたが、ここは私の見解(『お市の方の生涯』)が採用されたかたちになっています。 浅井家が朝倉家に従属するようになったのは、永禄3年頃、浅井家がそれまで従属していた南近江の六角家から離叛し、六角家と抗争するようになった時のことと推定されます。従属先の大名を、六角家から朝倉家に乗り換えた、というかたちになります。
万福丸が朝倉家に送られた時期は判明していませんが、私はこの元亀元年頃と推定しています。時期は、浅井家が信長と全面戦争に突入した同年4月以降のこととみています。しかしドラマでは、前回取り上げられていて、それより1年前の時期に設定されていました。これはドラマにおいて、浅井家と朝倉家の関係の深さをわかりやすく表現するため、ということでしょう。
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藤吉郎・小一郎が参拝していたお堂です。中にちゃんと仏像も置かれていました。 -
岐阜城下の店です。置いてある品物、リアルですね。