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学部・研究科レポート

2026.03.09

大河ドラマ「豊臣兄弟!」ワンポイント解説・第9回

第9回は、永禄10年(1567)9月、織田信長が、斎藤竜興の本拠・稲葉山城を攻略し、ついに斎藤家を滅亡させ、美濃の経略を遂げるという内容でした。藤吉郎・小一郎の活躍は、斎藤家家臣・竹中重治を調略する、というものでした。
ちなみに斎藤家は、前代の義竜の時から、足利将軍家から、美濃国守護家の家格、一色氏の苗字、義字の偏諱(へんき、主人の実名の一字)を与えられていました。竜興も同様に偏諱を与えられて、当時は「一色義紀」と名乗っていました。しかし一般的にはまだ馴染みが薄いため、ドラマでは斎藤竜興のままにしています。作中で、竜興は「御屋形様」と呼ばれていましたが、それは守護家であったからです。
ところで竹中調略の話は、事実ではありません。江戸時代後期に成立した「絵本太閤記」からみえる話なのです。これまでも歴史小説や大河ドラマでも繰り返し取り上げられてきています。そのため今作でも、有名なエピソードであるとともに、竹中重治を登場させる回ということで、この話が取り上げられています。
実際の秀吉は、犬山城攻略後には、信長の有力側近家臣として存在していました。その後に秀吉が当時の史料にみられるのは、稲葉山城攻略の翌年、永禄11年5月のことで、美濃攻略のあとのことになります。秀吉が美濃攻めで活躍した話は、基本的には「絵本太閤記」の創作で、秀吉伝記として最も古い小瀬甫庵「太閤記」にも、砦構築とその後に守備を続けた話の他は、記されていません。
しかし秀吉は、この美濃攻略戦のなかで、所領は数千貫文規模(年収約数千万円)、さらに独自の軍勢を編成する軍団長にまで成長していたと推定されます。そのため美濃攻めのなかで、多くの戦功をあげて、そこまで出世したことは間違いないと考えられます。でも具体的な内容は全く判明しません。しかしそれではドラマを作ることはできないので、有名な竹中調略の話が取り上げられた、とみられます。やはり竹中調略の話がないと、ドラマらしくないですよね。
  • 信長の家臣になってから着用している小一郎の腹巻きです。
  • 今回から本格登場の竹中半兵衛役の菅田将暉さんからの差し入れです。

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