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学部・研究科レポート

2026.02.23

大河ドラマ「豊臣兄弟!」ワンポイント解説・第7回

第7回は、前回から2年すすんで永禄8年(1559)の話から始まっています。冒頭に尾張犬山城の攻略のことが出てきていましたが、それは永禄8年2月のことになります。これにより織田信長は、ようやく尾張統一を遂げたのでした。信長の尾張統一は、一般に思われているよりも時期が遅いんです。それだけ苦戦していた、ということです。
次に出てきたのが、秀吉と寧々の結婚です。その時期について、これまでは永禄4年8月3日とするのが通説で、そのため過去の大河ドラマでも、結婚はその時期のこととして扱われてきました。しかし時期については、それとは別に永禄8年8月3日説があります。ともに江戸時代浅野家に残された伝承ですが、いずれが当時において妥当性が高いか、というと、実は後者なのです。それについての詳細は拙著『羽柴秀吉とその一族』に述べていますので、そちらをご参照いただけると有り難いです。
秀吉はすでに織田家直臣の立場にあったので、結婚については、主人の信長の了承を必要とします。また結婚は、一定程度の身分や資産がないとおこなえません。しかし永禄4年では、まだ信長の足軽で、すなわち信長の陪臣(家臣の家臣)の立場にあり、所領高も自立できるほどでなかったと考えられるので、その時期の結婚はありえないと考えられます。対して同8年では、秀吉は所領高は数百貫文を有し、信長の直臣で、しかも有力側近に成長していたとみなされるので、何ら問題ありません。
浅野家での伝承にも、結婚において、信長から祝儀が出され、仲立ちを柴田勝家・前田利家という信長の有力家臣が務めたとあります。
ちなみに秀吉と寧々は、親戚関係にありました。この時代、秀吉クラスの家臣の場合、たいていは親戚関係から結婚相手が選ばれました。寧々は、第3回の解説で触れたように、秀吉の母「なか」の妹婿の杉原家次の姪にあたり、秀吉にとっては叔母婿の姪にあたっていました。歴代の大河ドラマでは、秀吉は寧々への恋愛感情から結婚にいたったとされてきました。今回も、基本的にはそのように扱われています。やはり現代ドラマであるからには、恋愛をもとにした結婚というのが、視聴者に受け容れやすいのでしょうね。
そして話の中心は、「墨俣一夜城」築城への取り組みでしたが、これは永禄9年の話になります。結婚からさらに1年すすんでいるのです。これについては次回に取り上げることにしましょう。
以前にスタジオ見学に行った際、ちょうど姉「とも」役の宮澤エマさんからの差し入れがありました。スイーツ通の池松さんは、「史上最強のエッグタルト」と絶賛していました。
初回(1月4日)放送の際、名古屋市でパブリック・ビューイングが開催され、そこで観覧してきました。キャストのトークが楽しく、こうしたイベントにまた参加したいと思いました。

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