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- 法学専攻担当教員からのメッセージ「思想と哲学から読み解く刑法解釈」
学部・研究科レポート
近代刑法は、道徳との峻別を起点として形成されてきた。このため、従来の刑法学においては、価値判断から距離を保った、いわゆる価値中立的な解釈態度が要請されてきたといえる。しかしながら、法が社会規範として機能する以上、それが一定の社会的価値選択の結果であることもまた否定し得ない事実である。刑法解釈においても、時代ごとの社会状況や価値観、さらには国際的な潮流(刑法が、国連の持続可能な開発目標(SDGs)における目標16「平和と公正をすべての人に、強固な制度をつくる」ことと、無関係であるはずがない。)から切り離された純粋な解釈など存在し得ない。この意味において、通時的・共時的な思考形式、そしてそれらの結晶としての思想や哲学を意識することは、刑法研究においてきわめて重要である。
これまで私が担当してきた大学院の講義および演習においては、刑法解釈学上の重要なテーマについて、判例実務や学説の動向を整理するにとどまらず、それらがいかなる思想的・哲学的背景のもとで形成されてきたのかを意識しながら議論を展開するよう努めてきた。たとえば正当防衛を題材とする場合には、刑法第36条の文言理解やその適用範囲を検討するに際しても、国家による実力独占(Gewaltmonopol des Staates)という思想的文脈を踏まえなければ、正当防衛規定そのものの存在理由や、防衛行為の構造について十分に緻密な議論を行うことは困難である。
現代社会において妥当と考えられる「あるべき解釈」を、思想的・哲学的文脈の中で捉え直し、再定位する作業は、法の支配や基本的人権の保障を支えるのみならず、持続可能で包摂的な社会の構築にも資するものである。この意味において、刑法研究は、単なる技術的解釈論にとどまらず、現代社会の規範的基盤を問い直すという重要な社会的使命を担っているのである。