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- 大河ドラマ「豊臣兄弟!」ワンポイント解説・第5回
学部・研究科レポート
駿河台大学法学部教授・黒田基樹
本学法学部の黒田基樹教授は、日本史の中でも戦国史について研究をしており、2026年1月から始まったNHK 大河ドラマ「豊臣兄弟!」の時代考証を担当しています。
時代考証とは、八津弘幸さんが書かれている脚本が出来上がるまでに、史実と脚本に違いがあるかないか、時代感が合っているかどうか、などチェックする仕事です。
第5回は、前回から2年すすんで永禄6年(1563)になってました。けっこうすすんでいますね。
OPクレジットで、秀長の役名が「木下小一郎長秀」、秀吉が「木下藤吉郎秀吉」に変わっていたのに気づきましたか。秀吉は前回、織田信長から木下苗字と実名(じつみょう)秀吉を与えられていました。その時に、秀長も信長の家臣になりました。それにともなって信長から、兄と同じ木下苗字を、実名は信長の「長」字を与えられて、秀吉の「秀」に冠した「長秀」を与えられた、という設定です。秀長が信長の家臣であったのは史実で、また実際にもそれにあわせて苗字・実名を与えられたと推定されます。
秀長は、はじめ実名は「長秀」を名乗っていました。それがよく知られる「秀長」に変わるのは、これから21年後、小牧・長久手合戦の時のことになります。まだかなり先のことですね。
信長の本拠が清須城から小牧山城に移っていて、秀吉は信長の馬廻衆になっていて、信長から城下に屋敷を与えられていて、家族とともに暮らすようになっています。かなり大きく変化しましたね。しかも姉「とも」には、弥助という夫が、妹「あさひ」には「甚助」という夫までいました。
ちなみに母の「なか」、姉「とも」の名は、史実としては確認されず、江戸時代後期における創作になります。が、あまりに人口に膾炙しているため、別の名前を付けると視聴者が混乱するということで、あえてその名を採用しています。
「あさひ」の夫は、のちに副田甚兵衛尉吉成を名乗りますが、甚兵衛尉の前の通称が不明のため、弥助にあわせて「甚助」と設定しています。弥助と甚助、ともに脇指を差しているのに気付きましたか。ともに秀吉の家来として、足軽になっていた、という設定です。そしてともに、まだ苗字を名乗れる立場にはなかった、と設定しています。
当時は、立場によって名乗りが頻繁に変わります。その一方、時々の名前が判明しない場合も多くあります。しかしドラマでは名前を付けないわけにはいきません。そのためいろいろと工夫しなくてはならないのです。
第3回の終わりから秀長の脇指が変わっていたのに気付きましたか。信長の家臣になったのにともなって、新しい脇指になってます。武士らしい脇指になってますね。
そして第3回まで秀長が差していた脇指は、弥助が差すようになっていました。