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- 大阪万博:Expo’70「太陽の塔」
学部・研究科レポート
Expo2025 大阪・関西万博が4月13日から始まりました。もし、みなさんがデザイナーやアーティストだとしたら、どんな万博を構想するでしょう?
1970年、日本で最初の万博が大阪で開催され、テーマ館のプロデューサーを、芸術家・作家として著名な岡本太郎が務めました。岡本太郎の構想で有名なのは「太陽の塔」でしょう。70mくらいの高さで、万博の中心であるテーマ館の屋根を突き抜けて立っていました。当時の様子は「太陽の塔オフィシャルサイト」などで見ることができます。塔は修復を経て、現在でも万博跡地の「万博記念公園」に立っています。
その外観が有名な「太陽の塔」ですが、パビリオンのひとつであり、その内部では、塔の下から上まで原生生物から人類までの歴史を象徴的に示す「生命の樹」という展示がされていました。私が生まれる前の万博で、見られなかったことがずっと残念だったのですが、現在では中に入り2018年にリニューアルされた展示を見ることができます。
写真は私が「万博記念公園」に行った時の写真です。「太陽の顔」の分厚さなど、実物からは立体感・重量感を感じます。また、公園内のどの場所からでも見ることができ、大きさと角度から会場のどの辺りにいるのかがわかるマークとしても機能しています。現地を歩くと「太陽の塔」の魅力をあらためて実感します。
1970年、日本で最初の万博が大阪で開催され、テーマ館のプロデューサーを、芸術家・作家として著名な岡本太郎が務めました。岡本太郎の構想で有名なのは「太陽の塔」でしょう。70mくらいの高さで、万博の中心であるテーマ館の屋根を突き抜けて立っていました。当時の様子は「太陽の塔オフィシャルサイト」などで見ることができます。塔は修復を経て、現在でも万博跡地の「万博記念公園」に立っています。
その外観が有名な「太陽の塔」ですが、パビリオンのひとつであり、その内部では、塔の下から上まで原生生物から人類までの歴史を象徴的に示す「生命の樹」という展示がされていました。私が生まれる前の万博で、見られなかったことがずっと残念だったのですが、現在では中に入り2018年にリニューアルされた展示を見ることができます。
写真は私が「万博記念公園」に行った時の写真です。「太陽の顔」の分厚さなど、実物からは立体感・重量感を感じます。また、公園内のどの場所からでも見ることができ、大きさと角度から会場のどの辺りにいるのかがわかるマークとしても機能しています。現地を歩くと「太陽の塔」の魅力をあらためて実感します。

岡本太郎以外にも、1970年の大阪万博には、総合プロデューサーの丹下健三をはじめ、剣持勇、黒川紀章、磯崎新、菊竹清訓、榮久庵憲司、亀倉雄策、田中一光、杉浦康平など、1964年の東京オリンピックと同様に、日本の建築やデザインに寄与した著名な建築家、デザイナーが関わっています。歴史を調べてみても面白いと思いますし、冒頭に述べたように、自分だったらどんな建築や会場を構想するかと想像してみることも、デザインや美術のエクササイズになると思います。
そんなことを考えながら、2025年の大阪万博も歩いてみようと思っています。
執筆・写真:メディア情報学部 井上智史
そんなことを考えながら、2025年の大阪万博も歩いてみようと思っています。
執筆・写真:メディア情報学部 井上智史