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学部・研究科レポート

パラノイアというテーブルトークRPGを知っているでしょうか。「ザ・コンピューター」という完璧なAI(人工知能)が、ある閉鎖された都市とそこに住む人々を完全に管理していて、完璧なAIに導かれた市民たちは皆幸福に暮らしています――幸福に暮らしていることになっています。しかしその「ザ・コンピューター」はパラノイア(偏執狂)であり、実際には狂っている・・・・・・。そんな世界であなたは「ザ・コンピューター」に忠実な一市民のフリをしながら、「ザ・コンピューター」に反逆するレジスタンス活動をするというゲームです。面白そうでしょ?
「ザ・コンピューター」に口答えすることは許されません。なぜなら、「ザ・コンピューター」は完璧なAIであり、間違ったことを言うはずがないからです。また、市民は幸福でなければいけません。幸福でない人は反逆者として処刑されます。なぜなら、完璧なAIに導かれた人々は必ず幸福であるはずだからです。
「ザ・コンピューター」に口答えすることは許されません。なぜなら、「ザ・コンピューター」は完璧なAIであり、間違ったことを言うはずがないからです。また、市民は幸福でなければいけません。幸福でない人は反逆者として処刑されます。なぜなら、完璧なAIに導かれた人々は必ず幸福であるはずだからです。
さて、ここまで読んでくれた皆さんは、「ザ・コンピューター」が無謬性(むびゅうせい)の原則に対するアイロニーだということに気付いたかもしれません。間違いを絶対に認めない組織、常に自分が正しいと思っているオトナ、ごめんなさいが言えない人、聞く耳を持ってくれない親や先生、などなど。しかし、ここではAIという面に焦点を当ててもう少し考えてみましょう。
生成AIを使って文章を書いたり絵を描いたりすることについて、皆さんはどう考えますか。良いことでしょうか。良くないことでしょうか。 過去の歴史を振り返れば、このように手軽で便利な道具が出てきた以上は、皆が活用するのが当たり前の世の中になるのが自然です。そこに良い悪いはありません。技術の進歩とはそういうものだからです。
ただし、どれほど高性能のAIであっても間違いはあるし、それを使うのは人間だということを忘れてはいけません。AIの出力をノーチェックでそのまま使うというのでは、狂った「ザ・コンピューター」に支配されている状況と変わりないですよね? 道具は使う人によって有用にもなるし、有害にもなるのです。
企業活動において労働生産性向上のためにAIを活用したり、マーケティングや経営判断にAIを活用したり、今やそういうことは当たり前になりつつあります。DX(デジタルトランスフォーメーション)の文脈においてもAIは重要です。このように、人間よりも賢いAIが手軽に使える時代、人間が仕事をすることの価値はどこにあるのか。何が出来れば自分の価値を高められるのか。大学で様々な学問に触れながら、そういったことにも思いを巡らせて欲しいと思います。
原稿執筆者:経済経営学部 講師 太田康友
参考:パラノイア日本語版 https://paranoia.newgamesorder.jp/
生成AIを使って文章を書いたり絵を描いたりすることについて、皆さんはどう考えますか。良いことでしょうか。良くないことでしょうか。 過去の歴史を振り返れば、このように手軽で便利な道具が出てきた以上は、皆が活用するのが当たり前の世の中になるのが自然です。そこに良い悪いはありません。技術の進歩とはそういうものだからです。
ただし、どれほど高性能のAIであっても間違いはあるし、それを使うのは人間だということを忘れてはいけません。AIの出力をノーチェックでそのまま使うというのでは、狂った「ザ・コンピューター」に支配されている状況と変わりないですよね? 道具は使う人によって有用にもなるし、有害にもなるのです。
企業活動において労働生産性向上のためにAIを活用したり、マーケティングや経営判断にAIを活用したり、今やそういうことは当たり前になりつつあります。DX(デジタルトランスフォーメーション)の文脈においてもAIは重要です。このように、人間よりも賢いAIが手軽に使える時代、人間が仕事をすることの価値はどこにあるのか。何が出来れば自分の価値を高められるのか。大学で様々な学問に触れながら、そういったことにも思いを巡らせて欲しいと思います。
原稿執筆者:経済経営学部 講師 太田康友
参考:パラノイア日本語版 https://paranoia.newgamesorder.jp/