現代文化学部 法学部からのお知らせ

学生の皆さんへ──退職される先生方からのメッセージ──

2016/03/14 コラム

 卒業シーズンとなりました。
 3月は学生たちの卒業を迎えると同時に、退職される先生方とのお別れの時節でもあります。現代文化学部では、本年度をもちまして3名の先生が退職されることになりました。廣野行雄先生(中国文学)、本間邦雄先生(フランス思想)、吉野瑞恵先生(日本古典文学)です。
 長年本学の教育に熱心に取り組まれてきた先生方から、とても大切な、おそらく皆さんにとって最後のメッセージをいただきました。先生方の思いが、どうか皆さんに届きますように!

文化を学んでいる、あるいは学ぼうとしている皆さんへ

現代文化学部 廣野 行雄教授

 以下は、かなりあいまいな記憶にたよって書いています。だから細部の正確さには自信がないのですが、主旨はだいたい間違っていないつもりです。

 たしか新聞の座談会記事だったように思うのですが、永山則夫の『無知の涙』(この本について書くと長くなるので、知りたい人はインターネットへどうぞ)が話題になって、E.Kという女性の作家が次のようなことを言っていました。

 じつは自分は、その本を読んだことがない。しかし、父親の本棚にそれがあるということを知っていた。そして、読んではいなくても、その本がそこにあったということ、そこにそういう本があることを知っていたということは、そうではない場合、つまり、父親の書架にその本がなかった、あっても自分がそのことを知らなかったということと、まったく違うのだ、と。

 わたしは、最初不意をかれたような気がしました。そしてとても感心したのです。なぜ感心したかというと、E.Kさんの言葉が、文化の価値についての、あるいは文化そのものについての、精確で、深い、たとえになっていると思ったからです。

 文化というものは、いかにも役にたちそうな、自分は重要だぞという顔つきはしていません。あってもなくてもいいように見えるものです。いわば、人間が生きている上での余剰ゆとりといってもいいかもしれません。しかし、訊きますが、役にたつというのは、あなた自身の役にたつのですか、それともあなたを誰かの役にたつモノにするということですか。

 わたしの言っていることに納得がいきますか。ふにおちませんか。

 この問いかけをもって現代文化学部を去ろうとしているわたしの学生諸君への、そして現代文化学部をめざす皆さんへのお別れの挨拶とします。

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