米百俵

 年明けから、小さな論文を書いています。今回は、日本の輸出陶磁器業の最大の産地であった名古屋を事例に、太平洋戦争の時期を挟んで、戦前と戦後では何が変わったのか、あるいは変わらなかったのかについて、検討しています。そのためか、ここのところ論文を離れても、戦争の被害やそこからの復興について、ぼんやりと考えています。

 戦争の被害で言えば、私の生まれた新潟県の長岡市は、太平洋戦争の時には空襲で町を焼かれ、またその前の明治維新の際の戊辰戦争でも、官軍(政府軍)と激しく戦って敗北し、焼け野原とされました。私の生まれた家から歩いて3分程度のところにあるお寺には、戊辰戦争の時に官軍が攻めてきたことを知らせるためについたといわれる鐘が残っています。

 その戊辰戦争の戦災からの復興をテーマにした有名な戯曲が「米百俵」です。戦争に敗れた長岡藩に見舞いとして寄贈された百俵の米をめぐって、飢えに苦しむ藩士たちがすぐに分配するよう迫るのに対して、藩の大参事の小林虎三郎が学校を建てようと主張して、ついにそれを貫くという話です。

 この話は、小学校で何度も聞かされていたので、よく知っていたのですが、大学院に籍を置いていた時に、これが太平洋戦争中の1943年に山本有三によって書かれたものであることを習いました。作者は、戦時中に敗戦を予見し、軍の監視が厳しい中にもかかわらず、これを発表して戦後の復興における教育の大切さを説いたというのです。

 豊富にものがあふれる現在の日本で、食べたいものを我慢して教育に投資するという話はピンとこないかもしれません。しかし、先行きが不透明な点において現代社会は、戊辰戦争や太平洋戦争の時代と変わらないともいえるでしょう。不安と混乱の中で明るい未来を教育に託した先人たちの思いを、今につなげていきたいものです。