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学部・研究科レポート

2016.10.03

大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(36)

法学部教授 黒田基樹

 10月2日に放送された第39回は、慶長16年(1611)6月の昌幸死去の後から、同19年秋の大坂の陣勃発直前までが扱われていました。

 今回の話は、数少ない史実や伝説をもとに、昌幸死後の九度山での信繁の暮らしぶりが取り上げられていました。とはいえ、確かな史実となると、信繁が出した書状4通ほどがあるにすぎません。内容は兄信之に仕送りなどを依頼していたり、信之の家臣に暮らしの寂しさを伝えていたりしています。

 九度山での生活は、信之からの仕送りによって賄われていました。毎年の仕送り金は100両(1000万円ほど)であったようで、それ以外にも紀伊浅野家から50石(500万円ほど)の支援金をうけていたようです。しかし昌幸・信繁の暮らしはそれでも賄えないほどであったらしく、たびたび臨時の仕送りをうけています。わかっている額として40両(400万円ほど)がみえています。

 九度山の生活は、少なくとも1500万円以上で送られていたのですが、それでも借金が嵩み、その返済に困っていたようで、それで臨時の仕送り金を送られていたようです。なぜそんなに生活費がかかっていたのか、すべてはわかりませんが、江戸に残る昌幸妻・信繁母(山之手殿、ドラマでは「薫」)への贈り物や仕送りにかかっていたようです。

 蟄居生活とはいっても、元大名ですから、それなりの暮らしを送る必要があったのでしょう。しかし仕送りをしてくれる実家が存在していたのですから、昌幸・信繁はまだ恵まれたほうであったように思います。

 さて予告編では、いよいよ最終章の予告になっていました。いよいよ信繁は赤色の鎧・冑になります。そのうちの冑です。

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