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学部・研究科レポート

2016.09.26

大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(35)

法学部教授 黒田基樹

 9月25日(日)に放送された第38回は、昌幸・信繁が配流先の紀伊国九度山に入ってから、慶長16年(1611)6月16日に、昌幸が死去するまでが扱われていました。

 時代考証という立場からすると、この回で何よりも取り上げたいのが、九度山村と隣村との争いに際しての、信繁の発言です。秀吉の時に、村同士の争いは禁止され、争いの際に死人が出たら、双方の村の代表者が磔にされる、という内容のものです。これは秀吉の時期からみられた「喧嘩停止令」を意味しています。

 「真田丸」では、第3回に村同士の争いを取り上げて以降、戦国時代に普遍的にみられていた村同士の争いが、社会の平和化のなかで、どのように変化していったのか、ということについて意識的に取り上げていただきました。第12回では、鉄火起請を取り上げて、村同士の争いについて大名が訴訟を受け付けるものの、きちんとした判断ができない場合に、「神裁」を行っていたことを扱い、第20回では、村人の武力行使の規制に関わる「刀狩り」「喧嘩停止令」の発令について、尾藤道休のセリフを借りて扱ってきました。

 今回、九度山村の武力行使の話を出しているのは、そうした社会の変化をこのドラマのなかで回収させるためでした。村の武力行使の動向がどうなっていくのか、きちんと回収しておいて欲しい、という希望を出していて、それを踏まえていただいたものになります。

 その一方で、九度山村の村人たちが、脇差を差していることに気付かれたでしょうか。「刀狩り」後も、村人は依然として脇差は差していたのです。このことも特にお願いして実現していただきました。脇差は武器ではなく、成人男子の身分標識でした。こうしたところから、当時の社会の実像を少しでも感じていただければ嬉しく思います。

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これは駿府城の家康の居室に飾られていた太刀です

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