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学部・研究科レポート

2016.08.29

大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(31)

法学部教授 黒田基樹

 8月28日(日)に放送された第34回は、慶長4年(1599)1月21日の事件の後から、翌5年6月の徳川家康による上杉討伐出陣までが扱われていました。いよいよ関ヶ原合戦への展開ですね。

 今回、大坂城に居る茶々についての呼び方が、「おかみさま」となっていましたね。字をあてると「御上様」です。秀頼が誕生して以降、茶々は、「御袋様」「御上様」「御台様」などと呼ばれました。事例的には「御袋様」が多いのですが、三谷さんの選択で「御上様」が採用されました。

 「御上様」というのは、前当主の後家、現当主の母ないし妻、の意味があります。茶々は、一般的には秀吉の「側室」と理解されています。そのためドラマでも、視聴者が認識しやすいようにと「側室」として扱っています。しかし実際には、「正室」「側室」の区別は江戸時代になってからのもので、この当時はまだ複数の妻が存在するという状況でした。寧々(北政所・浅野寧々)も茶々も、同じく秀吉の妻だったのです。その他、松の丸殿(京極竜子)・加賀殿(前田麻阿)・三の丸殿(織田信長娘)が妻としていました。

 ただしそのなかでも序列があり、あるいは「本妻」と「別妻」と区分されていたと考えられています。いずれにしても茶々は、秀吉の正式の妻の一人で、秀頼誕生後は、寧々に次ぐ第2位の立場にありました。そして秀吉の死後、秀頼が羽柴(豊臣)家の当主になると、秀頼が幼少のため、茶々が実質的な羽柴家の家長の立場になっていました。

 「おかみさま」とは聞き慣れない言葉でしょうが、当時は茶々については、そのように呼ばれていました。ちなみによくいわれる「淀殿」とは、長男鶴松誕生前後、淀城に居住していたことによる呼び名ですが、これも江戸時代の呼び名で、正しくは「淀の方」「淀の女房」でした。その後、大坂城二の丸に移って「二の丸殿」、伏見城西の丸に移って「西の丸殿」と呼ばれていました。

 これは男性が、仮名(けみょう、信繁では「源次郎」)や官途(かんと)名(官職による名、信繁では「左衛門佐」)など、時期によって呼び名が変わるのと、同じ事態といえるでしょう。そして実名(じつみょう、本当の名前)は「茶々」でしたので、彼女については基本的にはその名で表現するのが適切といえるでしょう。

 ドラマに出てきた中庭です。

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