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学部・研究科レポート

2016.07.25

大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(26)

法学部教授 黒田基樹

 7月24日(日)に放送された第29回は、前回の文禄4年(1596)の羽柴(豊臣)秀次事件の後をうけて、翌同5年(慶長元年・1597)閏7月の伏見地震までが扱われていました。

 真田家にまつわるエピソードとしては、信繁と大谷吉継の娘(竹林院殿、ドラマでは「春」)との婚姻がありました。しかし実際には、婚姻の時期は明らかではありません。竹林院殿が信繁の子を生むのは、慶長7年(1602)のことになります。

 ちなみに父親の吉継は、永禄8年(1565)生まれなので、娘の誕生が20歳頃とすると、竹林院殿が生まれたのは1580年代後半のことになり、彼女が子を生んだのは20歳以前の10歳台後半のことになります。婚姻が何時であったかは不明ですが、10歳台半ばのことであったことは間違いないでしょう。

 今回のところでは、大谷吉継の病気が取り上げられるようになっています。一般には、吉継の病気はハンセン病と思われていますが、根拠はありません。わかっているのは「悪瘡」(皮膚病)というだけなのです。ハンセン病に基づいたエピソードは、すべて近代になってからの創作らしいんですね。

 また当時、ハンセン病は社会排除の対象でしたから、吉継といえども、現役でいることはありえませんので、今回はハンセン病とは設定せず、重い皮膚病と設定しました。症状については、医学的な考証を盛り込んでいます。

 この話は、有名なエピソードとはいえ、事実とは限らないことの典型ではないでしょうか。そしてそうしたエピソードは、意外にも近代になって生み出されている場合も多いのです。

 今回のおまけ。伏見の真田屋敷の昌幸の居室に飾られた、昌幸の甲冑です。本物かと思ってしまいます。

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