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学部・研究科レポート

2016.07.04

大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(23)

法学部教授 黒田基樹

 7月3日(日)に放送された第26回は、天正19年(1591)末の羽柴(豊臣)秀次の羽柴家相続・関白任官から、真田家の肥前名護屋在陣を挟んで、文禄2年(1593)8月の昌幸母の死去、秀吉嫡子秀頼の誕生までが扱われていました。

 肥前名護屋城は、秀吉による「唐入り」(朝鮮出兵)の本陣とされ、秀吉自ら在陣しました。諸国の大名もすべて同地に在陣しました。当然、真田家も、昌幸・信幸が在陣し、信繁は秀吉の馬廻衆として、名護屋城に在城しました。

 ただし昌幸・信幸が名護屋に着陣した時期、名護屋から帰陣した時期は正確にはわかっていません。昌幸らは、徳川家康を大将とする軍団に編成されていたので、おそらくは家康に従って文禄元年4月末の着陣、同2年8月中旬の帰陣と推測されます。

 なおドラマでは、昌幸らは8月1日死去の昌幸母河原氏(ドラマでは「とり」)の死去にあたって、帰陣してその死に目に立ち会っていますが、これはドラマ上の演出です。「とり」の死去に、昌幸らを立ち会わせたかった、ということでしょう。しかし正確な帰陣時期が判明していないのですから、そこらへんは自由に設定できるということです。

 この名護屋には、朝鮮に出陣した大名を除いたとしても、1年半以上にわたって全国の大名が集結するという、希有の事態がみられていました。大名たちにとってそれは未体験のことでした。これによって秀吉による「天下一統」の時代による変化を、否応なく体感したに違い有りません。

 ちなみに秀吉は、関白を秀次に譲ると、聚楽第も譲って、大坂城を本拠にします。これは大坂城のセットでの、梁の飾りです。画面ではなかなか気がつきませんよね。

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