第四巻要約

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新尚侍は十一月末日にそしらぬ顔で春宮御所に参上した。女春宮は、あきれるほど長く音信不通になっていた思いがしたので、新たな気分で珍しくもうれしくもあり、早くこないかと待ちどうしく思っていた。一方、新尚侍の方は会いに行っても女春宮が自分の事をどう思うのだろうと考えると、気の毒であり、気恥ずかしくもあって、語り出す言葉も思い浮かばないでいる。女春宮がたいそう苦しげに横になっている様子が小柄で体もそこにないように見えるのに、お腹だけは盛りあがっている様子を見るのも心苦しく感じる。そばに寄り添うと、四の君と無心に夫婦として暮らしていた時の事を思い、あれこれ感無量の思いであった。女春宮は、新尚侍を以前の尚侍と別人とはまったく気づかず、日頃のつらさや悲しさなどを、なんの下心もなく新尚侍に打ち明けた。

一晩明けて、新尚侍は兄君から託された手紙を女春宮に渡すが、女春宮はこれが女装していた以前の尚侍の筆跡であることに驚き、理解に苦しみ涙にくれることになる。いよいよ事情を打ち明けようとするが、母親代わりの春宮の宣旨がやってきて、春宮の妊娠の原因は新尚侍が知っているものとばかり、ねちねちと責めたてる。ふたりの女性を前に、思わぬ窮地におちいった尚侍は、しばらく考え最善の思案をめぐらして、春宮の宣旨に、自分自身の諸事情や右大将に言われたことを全て説明し、また、「春宮の宣旨といっしょに女春宮の体を心配することができたて頼みの綱が生じたような気分でうれしい。」と慎重に考え答えた。その姿は、かつてより道理をわきまえた態度、受け答えのたしかなことなど、春宮の宣旨は同性ながらすっかり魅せられてしまい、なおいっそうくわしい事情を知りたくなって言葉をかけた。一方、疑問の解けないのは女春宮であるが、あれこれ思案して、どうも自分のところへ通ってきたのは右大将らしい、この目の前にいる尚侍は以前の女装の男と別人らしいなど、ともかくこの目の前の人が初めて見る人とわかっていくと、恥ずかしさと悲しさで目もくらむ思いであった。

その夜、ひそかに新尚侍の手引きを得て、新右大将は女春宮のもとを訪れた。新右大将の真実の告白を受けた女春宮は、男が我が身ばかりを大切に思って女を忘れはてていたということを述べた。その後も新右大将のひそかな訪れはあったけれども、いったん男というものの本質に気づかずいた女春宮は、苦しみながらも男のわがままをはねのける勇気を持った。この頃女春宮の心は完全に新右大将から離れていた。

帝は、春宮の病気のことも心配であるが、かつて尚侍に寄せた気持ちを今も忘れられずにいたので、「春宮の病気のお見舞いにことよせて梨壺へ出かけてみよう。」と思うようになった。ひっそりとした昼ごろ、人目をしのんでお出かけになって、御帳台の後ろにそっと隠れてみると、女春宮に寄り添っている姿に「たいそうかわいらしい人だ」とふっと目にとまる。

十二月にもなると、出産も間近になり新右大将もこっそりと何度も参上するが、女春宮は、そのことを「今さらなんだ。」とまで思う絶望の心を抱いていた。また、帝の方は執心のあまり、右大将に尚侍の私室への手引きを頼むが、妹の幸福を考える右大将は正式の后妃としての入内という手続きを考える。しかし気の毒なのは女春宮である。

春宮は今右大将の顔にそっくりな子供を生むが、世間に公表することが出来ないので、こっそり中納言の君が子供を抱いて左大臣邸に連れて行く際、あらかじめ今大将は母上に知らせた。しかし世間体に向けては「大将が忍んで通っていた女性に出来た子」と取り繕った。

大将は以前のように右大臣邸で寛いでいることはなく、さっさと帰ってしまう。また吉野山の姫のもとにも十月か十一月かに四・五日行ったきりである。

春宮は出産後もなかなか病状が回復せず、「院の上にもう一度逢いたい、そして尼になりたい。」と言っていると、それを聞いた院の上は落着ける場所に移すことを考え、年内に朱雀院へ退出するように命じた。

この事態の意外な展開に驚いた帝は、左大臣が参内したときに「院の上がおられるから督の君が行かなくても…」と問いかけてみると 左大臣は「仰せのとおりで」と答えるので、帝は督の君に対する思いを伝えると大臣はいい加減な気持ちでないことを悟る。そして春宮が退出してからも院の上がいっしょにいるので、督の君は宮中に留まることになった。

中納言は身に添う影のようにして大将に付きまとい、話の出来る機会を伺っているが、大将は恨みごとをいわれていちいち応じる気もないので遠ざけている。

年が明けると大将は吉野山の姫君を迎えることを決め、二条堀川の三町の土地に壮大な豪邸を建てることにした。本来なら四の君を正妻として迎えるべきだが、中納言との一件があるので、その気になれない。

正月の行事が一段落ついたころ、帝は督の君のことが気になるので、宣耀殿のあたりを徘徊していると琴の調べが聞こえ、その音が督の君のものだと直観した。ちょうどその時、妻戸が開いていたので、こっそりと忍び込むが、誰も気が付かない。帝は今夜こそと思い、じれったく女房たちが寝静まるのを待ち続けた。

督の君はいつになく昔のことを思い出していると涙が出てくるので布団を被って寝てしまう。それを見た女房たちは督の君が寝たのだと思い、さっさと寝てしまう。

帝は誰もいないことを確認してから督の君の布団の隣に入ると、督の君は咄嗟に中納言が夜這いをかけてきたのだと思い込み、腹立たしく思い、衣を引き被って身動き一つもしなかった。この誤解を解くために帝は今まで督の君への思いを涙がらに、訴え続けると督の君は中納言でなく、帝であったことを認識した。またこのことで、帝はやはり督の君にとって最初の男でないことを知った。しかし退出する際、何度も何度も結婚の約束をしてから退出して行った。

帝は昨夜のことが忘れられず、手紙を出そうとしたが、女官だと返事がもらえそうもないと考え、右大将を呼ぶことにした。大将に手紙を託す際、ただ普通の手紙だと言い繕うが、即座に見抜かれてしまう。

宣耀殿に向かった大将は督の君と面会すると、督の君は気分を悪そうにして「胸のあたりがさしこみますのでおさえておりました。」というので大将は帝と督の君との間に何かあったのだと確信した。そして帝から預かった手紙を渡すが一向に開けて読もうとはしないので、すぐに返事をもらわなければならないことを伝えると、「ただ拝見しました」と伝えるように大将に言う。大将はこのことに納得して戻ると、「普通の懸想文と思われたのであろう」と帝は残念がるが、諦めず再度大将に手紙を託す際、「あの方をいとしく思っているので、今夜あの方の所にお導きください」と言うと、「やはりそうか。」と大将は思い退出した。

大将はこのことを隠していられなかったので父左大臣に報告するとうれしくて仕方がなく長年の苦の種もやっとなくなり、安心した。

その後の帝は昼も夜も督の君の側を離れない。

右大将が新造した二条殿に、吉野山の宮の大君を引き取るために吉野へ向かい、三月十日ごろ着いた。吉野の宮は長年の希望が叶って、娘を手放す気持ちは、喜びつつも別れの悲しさを口にせざるを得ない。吉野を出発する日に中の君もいっしょに京へ行くことになり、それぞれに不安を抱きつつ山をおりることになった。大将と吉野山の宮の大君は同じ車に乗り、中の君は二人の後ろの車に乗った。一行は途中で一泊してから京へ入った。三区間にわけた御殿の中央に位置する建物を、常住の場とするということによって、右大将の正妻格として迎えられた。東側の建物には、いずれは右大臣の四の君を、西側の建物には、尚侍や女東宮のための部屋として用意している。右大臣家の四の君と左大臣家の尚侍と、二人の女性が妊娠した。今度こそまさしく右大将の子を妊娠した四の君は、かえってはずかしさを感じ、右大将もまた純情な吉野山の宮の姉宮に妊娠の兆しのないことを嘆く。一方の尚侍の妊娠は、帝の限りない愛情をさらに増すばかりか、男皇子のいない状況から、もし、皇子誕生となれば、父左大臣や兄右大将の権力をも倍増させることになる。

権中納言は、まだ右大将と尚侍とが、それぞれの本性に戻って入れ替わった職についたことをまだ知らない。女装に戻って子を生んだ右大将が、再び男姿に戻って出仕しているのだ、と思いこんでいる。あまり楽しくない日々を送っていた権中納言は、ふと気がつきいた。自分一人が苦しんで去っていった女を、なお忘れがたく思っているが、いったい女のほうはどう思っているのだろうか。男姿で身が自由でないといいながら、こんなにも思いきり良く縁を絶ってよいものだろうか。何を考えたのか、権中納言は手紙で右大臣家の四の君につかえる左衛門を呼び出すことにした。左衛門は、音信不通の権中納言からの便りを見てこっそり参上することを旨を伝えた。権中納言は人目にわからない車を左衛門のもとに差し向けて待った。左衛門は四の君だけに内密に報告し、表向きの理由をつくり権中納言の所に参上した。

権中納言は次第に心変わりした四の君に恨みを言う筋合いはないが、せめてもう一度会いたいと左衛門に言う。これに対して左衛門は、右大将の以前と今との変わりよう、四の君の新たな妊娠、右大将と権中納言と二人の男に愛された不幸がもたらした四の君の立場など、際限なく語り続けた。左衛門の話を聞いている権中納言はいつしか非難されている自分を知って、かえって言葉を失い、また左衛門との話に合点にいかない。権中納言は言葉少なにひどく心乱して「夜も明けましたので」と言って左衛門を帰してしまう。

左衛門はこっそりと先程のことを話すと四の君は泣いてしまったけれども、心はもはや権中納言にはなく、今はひたすらに右大将を愛している。右大将自身は、権中納言と四の君との縁も切れ、尚侍への愛も忘れ、権中納言があの女姿の宇治の人を失った悲しみにむしろ誠実さを取り戻したと見えて、吉野山の宮の中の君の結婚相手にどうか、とまで思っている。が、決定までには至っていない。

今大将は督の君が世間話のついでにお話になった麗景殿の細殿の女性と一夜をすごした。

朝になり二人は戸を開けて語り、その様子をかげで中納言が見て、聞き耳を立てていると、どうやら二人は一線をこえたということがわかった。中納言は女性のはずの大将のこの話に驚いた。信じられずに大将が一人になった時大将を間近で見た。

すると、ひげが生えているのがわり、またも驚く中納言をしりめに大将はその場を去った。中納言はこの人は(昔)大将本人ではなく、そのゆかりの人だろうと思った。

そこでなんとかこの人を通じて(昔)大将に会おうと思い二条殿へ行ったが、大将は不在であった。がっかりして帰ろうとしたころ琵琶と琴の合奏が聞こえてきた。その演奏のすばらしさに奏者に興味をもった中納言は中の様子をうかがった。するとちょうどよい月が出てきて、中の人々もみすを上げ月をみはじめ、ちょうど中がよく見えるようになった。

奏者は美しい吉野の姫君達で、中納言は督の君とのことでおさまっていた好色癖がまた顔をだした。なんとか自分をアピールしようと思ったのだが、大将の住まいで好色事をしでかすのはやめようと思い直し、後ろ髪をひかれるおもいでその場を去った。

六月十余日に督の君の住まいで詩作会が催された。そこへ大将から中納言への使いが、中納言のところに来た。詩作会に招かれた中納言は(昔)大将に会えることを期待していたが会えたのは琵琶をひいていたあの姫君なのであった。

大将にうらみごとをいう中納言であったがいつしか姫君のおかげで心がなごみ、そのうちに姉のほうにまで目を向け出すのであった。

七月入ると、尚侍が妊娠五ヶ月と奏上して、大将の二条殿へ里下がりした。尚侍は今の我が身につけても、最初に産んだ若君のことを思い出す。今は大将との縁で、尚侍のこの二条殿への里下がりの間も、中納言がずっと吉野の姫君のところに来て、侍女たちと語らいふざけたりしていかれるのを聞くと、尚侍はこの男と昔から見苦しいほど馴れ親しんで、お互いに何の隔てもなく語りあっての挙句には、あきれたことに風変わりな身の有様まですっかり見せてしまった運命も、しみじみ感じない訳でもなく、まして二人の間に生まれた若君の無心の笑顔を思い出すと、この男の声や気配を聞くたびに、浅からず心を動かされて涙のこぼれる折々もあるが、「これを見咎める人でもいたら変に思うだろう」と、そっと涙を拭いまぎらわす。

右大臣家の四の君も、二条殿で出産の予定で、八月下旬に移ってきた。四の君は、二人の姫君たちをやはり具合が悪いのでここには連れてこないが、大将も、「どうしてお連れにならないのですか。是非」とも勧めないので、「世間の噂は、嘘ではなかったのだ」と、右大臣なども想像していた。

九月一日ごろ、四の君に若君が生まれた。尚侍はこれを聞いて、様々な過去の出来事を思い出し、今時分のこうした状態はまるで夢のようだと思うのだった。今度の若君は、姉君たち二人には少しも似ておらず、ただ大将の顔をそのまま写し取ったかのようである。引き続き、尚侍に男宮の誕生があった。長年春宮候補の男宮も生まれないので、帝が夜昼祈念し、多くの神仏に祈祷した成果が会ったのだろう。華やかな一族の女性に皇子誕生のあったことを、誰もが類まれな幸福だと思い驚く。三日の夜は左大臣、五日は春宮の大夫、七日は内裏から、九日は大将と、それぞれ競い合って心を尽くして祝った様は、まことに素晴らしい。通常のしきたりの上に、さらに工夫をこらして管絃の遊びや何やらとこの上もなく仰々しいのにつけても、尚侍は最初の若君が生まれた時のことを忘れる時がない。

その頃、大臣の任命があって、右大将は大将を兼任したままで内大臣になった。順次に昇進して、中納言は大納言になった。

大納言は、宇治の若君を二条殿に迎えて吉野の妹君に預けた。若君の乳母は、あさましくも姿を隠した方の出自を、この吉野山の宮の姫君ではないかと推察していたが、実際に会ってみるとかつての女君ではなかったので、とても残念に思うのだが、この女君も愛らしく、実母以上に若君をかわいがるので、次第に親しくなり当時のことをいろいろとお話になる。

万事思い通りで、素晴らしい慶事ばかりが続いて、新年になった。正月、若君出産五十日のお祝いのころ、若君が春宮に立ち、もとの春宮は院となり、女院と申すことになった。尚侍は女卿の宣旨を受ける。間もなく、四月には中宮に立った。大納言は、大将の信頼が厚いということで、中宮大夫になったが、中宮があの宇治の橋姫と気づかないのは気の毒である。

宇治の若君が今ではとても上手にしゃべり、走り遊ぶのを見ると、大納言は、忘れない昔のことがまず思い出されて、吉野の妹君なら事情を知っていることもあろうと考え、時々様子をうかがって尋ねるが、女君の方は事情もわからぬ様子である。女君は、そのことにかもと思うことはあるのだが、誰かにとっても奇妙な話を自分がきっぱりとお話しするのもおかしなことだと思い、かたく決心して話さないので、大納言としては大変じれったい。

あっという間に歳月も移り過ぎて、中宮は、二の宮・三の宮や姫宮まで出産したが、「こうなる運命だったのだ」と、誰しも事を大目に見過ごし、そばの女御たちにしても妊娠しないわが身を恨むほかなかった。右大臣家の女御は、他の人より前に入内なさっていて。「私こそ」と思っていたので、こうしたとんでもない世の事態につきあって行くのも気がひけて、里に下がってしまわれたと聞くと、中宮は「昔、四の君とのご縁で右大臣に恨まれた報いで、また宇治の橋姫のような状態で物思いをしていた当時、四の君のせいで男を冷たいと思い込んだ報いでこのように見捨てられているのか」と感じたが、またしても自分のせいでこの女御が世を恨んで里に下がってしまったことで、因縁があるとはいえ、恨みが絶えそうにない両家のかかわりにやりきれなさを感じている。

右大将の方でも。四の君のお腹に男三人が続けて生まれていた。左大臣で成長した若君も、今では成人して、吉野山の姉君の養子となってかわいがられている。

官の大納言も、吉野山の妹君のお腹に姫君二人と若君とが生まれたが、下の姫君は、右の奥方が特に希望して、この若君と、左右に置いてかわいがっている。

大納言の隠し子の宇治の若君も、すっかり成長し、内裏に出入りしているのを、中宮は見るたびに、とてもいとしく辛い思いをしているが、ある日の昼下がり、二の宮と若君が中宮の部屋に来たのだが、二人はとてもよく似ていて、特に若君のほうが美しく愛敬があり、しみじみとしてしまう。あたりに人もいないので、中に入るように言うと、二の宮は入ったが、若君が入ろうとしないので、「心配はいらないから、あなたもお入りなさい」と言うと、縁側に正座した。その姿を見ていると中宮はせつなくなり、涙を流しながら、「母親に会いたいと思うのならこのあたりにいつでもいらっしゃい。こっそり会わせてあげましょう」と若君に言って別れたが、十一歳になった若君を見送っては泣き伏してしまう。だが、そのとき偶然中宮のもとにこられていた帝に見られてしまい、若君が中宮の子であるのが知られてしまうが、帝は長年気掛かりだった不審の念を取り去ってくれたとうれしいのであった。とはいっても帝はもっと様子が知りたいので、今きたかのように中宮の前に来ると、涙を拭いている中宮が若君とそっくりなのに、今までなぜ気が付かなかったのかと苦笑いを浮かべる。そして帝は、それとなく中宮に、「若君の母親が誰だか知られていないが、一体誰なのか」と微笑みながら聞くが、中宮は何とか切り抜ける。そして、顔を赤くして背けてしまった中宮の愛らしさに帝の愛情はますます深いものとなる。

若君は、先刻の名残で、なんとなくしんみりした気分で退出して、こっそりと、「母上かと思われる人を見た父君には知らせないでとおっしゃったので、申し上げまい」と言って、ひどく悲しげに涙を浮かべているので、乳母がどのような人かと聞くと、「たいそう若々しく愛らしげで、こちらの母上よりも気品高く、私が母だと言葉には出さなかったが、母は生きているとおっしゃってひどく泣かれた」と言って、しんみりと考えこんでいるので、どこにいるのか聞いてみると、「父君に申せ、と御返事があった時に申し上げよう。今は言ってくれるな」と乳母に口止めするなど年の割にしっかりしていると、感心する。

右大将は麗景殿の女をさすがにゆきずりの女として思い捨ててしまわれるのも気の毒なお人柄なので、こっそりと通ってるうちに、たいそう愛らしい姫君が一人生まれた。右大将は四の君の生んだ姫君達以外には女の子はいなかったので、二条殿へ迎えようとしたのだが、麗景殿の女御が妹の身の姫君をたいそうかわいがって、手放そうとしないので、右大将は「それでもいいだろう」と思い、二条殿へ連れていくことをあきらめた。

年月はさらに過ぎ去って、関白左大臣は出家し、右大将が左大臣になり関白を兼任する。大納言は、内大臣で右大将を兼任する。帝も退位したので、春宮が帝位につく。新関白の四の君腹の姉君が女卿として入内して、藤壺に入る。引き続き、この麗景殿で育った姫君が、東宮の女御として入内する。

何もかも思い通りで満ち足りた中でも、内大臣だけは月日が過ぎても、いまだに理解できない宇治での出来事が気がかりで、三位の中将となった若君の成長が進むにつれ、他人より際立った姿、学力など見るにつけ、「どんな気持ちで、行方をくらましたのか」と思うと、わびしくもつらくも恋しくもあり、深い悲しみにひたっている。

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