法学部

10.02.26

【法学部】リレー連載(Vol.10)「イマヌエル・カント」(福田二郎教授)

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 法学部専任教員によるリレー連載、第10弾は福田二郎教授です。


イマヌエル・カント

駿河台大学法学部 福田二郎

 カントは十八世紀のドイツの哲学者です。カントと言えば、筆者が小学生の頃、道徳の教科書で出てきた記憶があります。彼は雨の日も風の日も、毎日きっかり同じ時間に同じコースの散歩をする人で、近所の人はカントの通過を見て時計を直したそうです。それのどこが偉いのか、と疑問に思いましたが。ちなみに彼が一度だけ時間を守らなかったのは、自宅でルソーの『エミール』を読みふけってしまったときだけだといいます。『エミール』といえば、日本の教員採用試験には必ず覚えなければいけない本のタイトルですが、学校教育を全面的に否定していることはあまり知られておりません。カントもおしつけの教育は大嫌いで、まさか自分が子供の「道徳」の本に出てくるとは、あの世で苦笑いしていることでしょう。

 カントは、「なんじの意志の格率がつねに同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ」なんて言いました。「何か行動するときは、誰もが納得する範囲でしなさいね」ということです。これは偉いと思います。なかなかそうはできないのが人間だと思いますが。

 さらに、「われわれ人間は感覚的な存在として、自然界の因果律に支配されている」とも言いました。どうしたって腹は減るし、重いものは持ちたくない、座りたい、寒いのもイヤ暑いのもイヤ、じっとしていられないし楽したい、煩悩かかえてソワソワソワ・・・。 好き嫌いはどうしようもありません。

 でも、そういう自分を見つめることができるのが人間です。本能に流される自分って、情けなく思ったりしますものね。つい人前で騒いでしまう自分、食べちらかしちゃう自分、排気ガスや二酸化炭素を撒き散らしちゃう自分。

 カントは言いました。「我々は、理性に従って道徳的に正しい選択ができた時だけ、感覚的支配を逃れた自由意志をもつことになる」と。腹が減っている虫や動物は、エサを目の前にぶらさげれば必ず寄っていきます。自然の欲求からは逃れられません。本能のままに動く存在は、自分というものがありません。でも人間には理性があります。誰も見ていなくたって、誰にもほめられなくたって、こうしたほうが(しないほうが)いいだろうなって自分で決めることがありますね。自然の欲求を乗り越えるのです。そのとき初めて、人間は自由になり、本当の自分自身になれるのです。作られたあやつり人形じゃなくなるのです。カント先生、あんまり「理性」とか言われると引けてきますけど、いいこと言うじゃありませんか。
 

以 上

 第1回 「子ども虐待の防止――私たちにできること」(吉田恒雄教授)  
 第2回 「私の憲法研究」(「北原仁教授)  
 第3回 「経済に関する法の直面している問題」(大録英一教授)  
 第4回 「証明責任・証明妨害 ― 神判に起源?」(太田幸夫教授)
 第5回 「鳩山新政権と政治学」(西川敏之教授)
 第6回 「刑事政策について」(米山哲夫教授)
 第7回 「時効とは?」(竹内俊雄教授)
 第8回 「「フレセキュリティ」(flexicurity)と「フレシキュオリティ」(flexsecquality)」(石田信平講師)
 第9回 「「本の王国」とブックタウン運動」(熊田俊郎教授)

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