10.08.06
前に「大学は誰のものか」と題して、メッセージを書きました。大学は「私の駿大」と思っておられる多くの方々によって支えられて成り立っているという趣旨でしたが、「たしかにそうだ、感謝しなければ」という学生の感想が寄せられ、嬉しく思ったのでしたが、書いた私としては、ちょっと言い足りなかったなと気になっていました。それは、これだけ読むと、「大学はみんなのもので、誰がとくに重要ということはない」と受取られかねないと思ったからです。
確かに大学は、学生、教職員、理事会、父母会、卒業生、地域などの多くの方々によって成り立っており、そのどれも重要なのですが、あえて削って行くと仮定してみると、どうなるでしょうか? そう考えてみると、学生と教員だけはどうしても削れないということになると思います。すなわち、大学は学びの場であり、学生と教える教員がなければ成り立ちません。その原点を忘れないようにすることもまた重要なのです。
それで、みなさんに、大学(university)はどうして始まったかについて、簡単に紹介しておきたいと思います。大学の歴史は、11世紀に始まります。最古の大学はイタリアのボローニャ大学です。もともとはラテン語の "universitas" (ウニベルジタス)を起源とし、教師のギルドと学生のギルドが1つにまとまった「組合」という意味でした。そして、大学は初めキャンパスを持たなかったのです。授業は使えるところならばどこでも行われたそうです。つまり、大学は物理的な場所ではなく、教師のギルドと学生のギルドが1つにまとまった組合団体として互いに結び付けられた諸個人の集まりだったのです。そして、最初のボローニャ大学では、学生が教師を雇い給料を支払っていました。ボローニャ大学においては学生が全てを運営したのです。そして、学生のほうから、これだけのことを教えてほしいという要求が出され、不十分と判定されると契約は破棄されたとのことです。
その後、現在のように、大学がキャンパスをもち、運営責任は法人の理事会が持つようになり、学生を募集するようになりましが、原点は学生にあったということは、学生のみなさんに是非知っておいてほしいと思います。さらに言うなら、「学びたい」という人間に根源的な欲求が大学の原動力だったのです。
みなさんは、「学びたい」から、今駿河台大学に入って学んでいるのです。大学は、父母のためにあるのでも、法人が利益を上げたいからでも、教員が給料をほしいからあるのでも(正直、これはありますが)、ないのです。
ですから、大学に、教員に、大いに要求を出してください。授業をこうしてほしい、キャンパスをこうしてほしい、カリキュラムをこうしてほしい、就職支援をこうしてほしいと。そして、大学を大いに活用してください。みなさんが(親に払ってもらっているかもしれませんが、あなたに代わってなのです)、授業料を払っているのですから。