現代文化学部

10.07.13

【現代文化学部長からのメッセージ】春学期末試験を受ける心構えについて

 春学期末試験が近付きました。最近の学生を見て感じるのは、定期試験でもほとんど緊張していない学生が多いことです。そして、中には全く試験のための勉強をしないまま受験する学生もいることに驚いてしまいます。恥ずかしながら、僕が学生だった頃も確かに試験の直前にならないと勉強をしませんでした。しかし、いわゆる「一夜漬け」はしました。最初の定期試験が近付いたとき、大学の試験には厳密な試験範囲はないということに驚きました。ある教員は「それまでに授業でやったことが中心にはなるが、君たちは今まで小中高と勉強してきたのだから、その全てが試験範囲だ。大学は最高学府だから」と言われ、そう言われれば反論のしようがないと思ったものです。ともかく、授業で取ったノートを見返し、テキストを確認するだけはやって試験を受けました。君たちはどうでしょう。

 驚くのは「試験時間を間違えて受けられませんでした」と研究室に来る学生がいることです。中には「何とかレポートにしてください」と言う学生もいて、さらに驚いてしまいます。「どうして試験時間を間違えた君に、そんな配慮をしなければならないのか」と叱ることにしているのですが、ケチと言わんばかりの顔をする者もいます。自分が悪いのであって、他人のせいではないのです。それになのに...と思い、怒るよりがっかりしてしまいます。昔からそんな学生はいたのでしょうが、どうも近年増えているように思います。

 それと、「何でも持込み可」としてあると益々緊張しないことも不思議の一つです。「何でも持込み可」という試験は、まず用語を問う問題ではありえません。ふつう論述式です。問題の多くはどこかを丸写しにすればよいというものではなく、資料にいろいろ書いてあることを参考に自分の理解をまとめて、答案用紙の解答欄のスペースに合わせて書くものであることが多いのです。だから、大体のことは自分の頭の中に入っていないと、限られた時間内には書けません。普段の授業に出てないで、初めて資料の中から関連事項を探しあて、読んで書こうとしても、ほとんど書けないことになってしまいます。「何でも持込み可」の試験はなおさら事前に勉強しておかないといけないのです。

 それと、答案が投げやりできれいに書いてないものが多いのに驚きます。読みづらいだけでも評価は下がりかねません。読んでもらう、わかってもらうという気持ちが表れていない答案が多すぎます。「・・・について記せ」という問題なのに、教員が黒板に説明のために書いたものと同じように、語句を乱雑に並べてあったりします。理解もしないでノートに写し、それをそのまま書いているのでしょう。

 期末試験は、スポーツで言えば、W杯やインカレのような「大会」です。それまでに練習してきた実力のすべてを大会で表現するのが当然です。もし、大会に出たのに、緊張感もなく、いい加減なプレーばかりで負けて行くとしたら、何のための大会だと応援団に叱責されるでしょう。スポーツの練習に当たる日頃の学習が大切なのはもちろんですが、出来る限りの努力をして、試験(大会)で自己のベストを尽くすことを望みます。

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