こころの健康と住まいの関わり   
                 『住宅』(社:日本住宅協会)2007,vol56,特集「こころの健康とハウジング」要約

はじめに

 最近○○症候群という言葉がやたら作られたり、虐待やいじめ、非行など、心の健康や子供を巡る問題がマスメディアを賑わせています。こうした「心の時代」だからでしょうか、心理学的、精神医学的視点への関心が高まっています。そして、家族生活や地域社会のあり方に人々が目を向け始め、住環境に対する関心も高まっていますそこで、こころの健康と住まいの関わりについて心理学の分野から若干の考察を試みてみたいと思います

 (1)癒し(ストレスへの対処)の場としての住まい

 現代社会はストレス社会といわれるように、さまざまなストレッサーを抱えています。そのため住宅に『癒し』『やすらぎ』の場としての役割が求められるようになっています。
 まず、ストレスへの対処と住まいの関わりをみる前に、ストレスへの対処について簡単に説明しておきましょう。通常、ストレスへの対処はストレッサーへの直接的働きかけをおこなうもの(たとえば問題解決型対処)と、ストレッサーや事態への認知を変更させるもの(たとえば情動中心型対処)に纏められます。しかし、このようなタイプの対処に住まいが関わることはほとんど考えられません。では、住まいのあり方はストレスへの対処に全く関与しないのでしょうか。実は我々の日常生活を振り返れば、ストレスへの対処にはもう一つのタイプがあることに気づきます。すなわち、ストレッサーには何ら作用しないがストレスによって生じたhomeostaticなバランスの崩れを回復させるものです。上に挙げた二つの対処を「直接的対処」とすれば、これは「間接的対処」とでも呼び得るものです。
 ストレッサーの除去という意味では直接的対処が適応上は望ましいものであることはいうまでもありませんが、実際の社会生活においてこれを実行することはかなり困難なことが多いことは日常生活を考えてみれば分ると思います。他方、私たちがスポーツやユーモアなどを「ストレス解消法」として用いることは日常的体験からもよく知られている。そして、そうした行為が実際にストレス反応を低減する効果があることが実験的にも検証されています。ストレッサーによって喚起されるストレス状態は、生理学的には交感神経系優位の状態であり、心理的には苛々感、緊張感、不安などの負の感情状態となります。したがって、この状態を解消するか、生理学的には逆の副交感神経系優位の状態を引き起こせば、ストレッサーの除去がともなわなくてもストレス状態からの脱却がもたらされるはずです。これこそが間接的対処のメカニズムであり、これを臨床的に実践したのがレラクゼーションや系統的脱感作の手法であるともいえます。そして、ここに住環境が果たす役割があると考えることができるのです。
・住まいに癒しの工夫を加える
 では、住空間と間接的対処の関係はどういったものがあるでしょうか。まず、これまで住環境研究で「癒し」や「快適性」という文脈で検討されてきたものの多くがこれに該当するとみなすことができますそれらには照明による部屋の雰囲気の創出や香りによる鎮静効果(アロマコロジー・アロマテラピー)などが挙げられるでしょう。たとえばアロマコロジーの研究では、起床時に覚醒効果のあるハーブを部屋に噴霧し、夜に鎮静効果のあるハーブを噴霧するとフリッカー値と自覚症状のいずれでみても疲労回復効果が認められたという報告があります。また、自分の好みの音楽をゆったり聴くことが向ホメオスタティックな効果があることも認められています。
 ただし、こうした工夫を住環境に取り込む場合にはいくつか解決しなければならない問題もあります。たとえば、リビングルームに「癒しやゆとり」(たとえば色温度の低い赤みがかった照明)をもたらす照明の工夫をしても、それは一日の疲れをとる夜間に主に当てはまるものであり、「覚醒」が求められる朝には逆に不適切にもなります(この場合には青みがかった色温度の高い照明が対応するといわれています。このように、ヒトの行動は生活時間ごとに異なり、そこに求められる住環境の工夫も場面に応じた変化が必要となるということです。
・癒しの場としての個室・領域空間
 間接的対処における住まい空間の役割としてもうひとつ考えられるのが、個室の整備です。個室があれば他者に干渉されることなくリラックスすることが可能であり、上で述べた香りや音楽などの間接的ストレス対処も他の家族成員に気兼ねすることなく楽しむことができます。さらに、ストレスや心理的問題をかかえた時には一人になり感情を整理したり自己を内省したりする必要がありますが、個室空間はそれを可能にします。実際、個室保有者が個室にゆく理由として多いのは「一人になりたい時」「負の感情にある時」「友人と過ごす時」であり、前二者は緊張解消と直結するものともいえます。
 ただし、個室がなくてもそれに替わる場所があれば上記の行為は可能でしょう。実際、個室がなくてもある一定の時間占有できる空間(time territoriality)は浴室など他にもあります。また、お父さんが車の中でひとりリラックスできるのもこれにあたります。その意味では、排他空間ないしは占有空間ということが重要なのでしょう。
 たとえば、主婦の精神的健康を調べた調査では、住居内に領域的性格をもつ空間を保有する主婦の方が精神的健康度は高かったことが知られています。また、ヒトの領域行動には、その空間に自分の社会的地位や文化、趣味や性格を反映させるという自己表出行為がともなうことが多いのですが、この自己表出行為が空間をくつろぎやすいものにするようです。大学の新入生で自宅外通学をしている女子学生について調べたところ、自宅から「気に入りのもの」を新しい部屋に持参し、そこを自己表出空間にしている学生の方が、より早く「くつろぐ」ようになっていますあるいは普賢岳噴火の際の被災者の仮設住宅での適応を調べた報告でも、自宅からそれまで使っていた家具を持ち込んだ人、つまり空間に自己表出的行為をおこなった人の方が適応は良かったともいいます。
 以上述べたことの他に、家族の果たす役割も忘れてはならないでしょうが、これについては後で触れることにしましょう

(2)子供を育て、家族をつなぐ場としての住まい

 ここ数年、子供を巡る議論がさかんにマスメディアを騒がせています。中でも非行とひきこもりという反社会的行為、非社会的行為を生み出す背景として子供自身の心理的成長が問われ、また家族関係の希薄化がいわれています。こうした議論の是非の判断は慎重になされるべきでしょうが、これらの議論が家族生活の場である住まいのあり方と結びつけられるのは当然です。ですから、ここでは子供の成長や家族のあり方に関わる住まいについて考えてみましょう。
・子供の成長と住まい
 住まいと子供の関係を巡る議論でいわれているのが「ひきこもり」などの非社会的行動です。いわく、個室の存在がひきこもりをもたらす、というのです。しかし、ここで注意すべきは「ひきこもり」として言われているのが病理的なレベルでのひきこもりなのか、家族との関係が薄いというレベルでのひきこもりなのかということです。ただ、両者で共通する心理特性を挙げるとすれば脆弱、未発達な自己ですから、問題は個室の存在は自己の確立、すなわち同一性の確立や心理的自立とどう関連するのかということになります。
 この点について、いくつかの資料は子供部屋保有が心理的自立性を促し、自己同一性の確立にも肯定的に関係していることを示唆しています。少なくとも高校生段階では部屋の掃除といった生活の自立性は個室保有群の方が高いし、大学生段階でも自立性は個室保有群の方が高いことは明らかです。ただ、個室が領域空間として成立していることも重要です。なかでも自己表出行為が多いほど心理的自立性が高く、しかも自己同一性も高いという調査結果は、単純に個室の有無だけではなく、そこが子供にとってどのような空間となっているかが重要であることを示唆しています。これについてはおそらく、個室をもつことで生活面、心理面での自立性が高まり、自己像が明確になるにつれて部屋の領域空間化、自己表出空間化が進み、それがさらに部屋の愛着を高め、自室での内省行為や感情の統制がなされ、自己同一性の確立に肯定的に作用しているのだと推測できますが、いずれにしろ、個室あるいは領域空間をもつことは非行や不適応とは関係ないことは確かでしょう。 では、個室はいつ頃から与えるか、という問題がでてきます。これについては、まず基本的なこととして子供は成長する存在であり、変化する存在であり、子供と空間の関わり方もまた成長段階で異なっていることを認識する必要があります。子供は三歳ほどから自身の空間(領域空間)を求めるといわれていますが、当初は親との結びつき(愛着関係)が強く、自身を取り込むほどの空間は求めなでしょう。むしろこの頃は親との共同空間こそが、その段階での発達課題である親との愛着関係や信頼関係の形成に肯定的に働き、安心感や肯定的自己感覚の形成をもたらすと考えられます。したがって自分の空間を求めるとしても、それはいわば所有物の管理のための空間といえるでしょう。しかし、成長とともに求める空間は拡大し、また複数の場にそれを求めるようになります。そして、児童期以降では社会的スキルを身につけ、自己像も確立するようになるので、自身の空間は管理の場として以上の、自分自身の好みなどを反映させる(自己表出的性格を帯びた)空間に変わってきます。その後第二次性徴の開始時期であり、親からの心理的自立が始まる思春期になると自己像が不安定となります。そのため、苛々や自己嫌悪の感情など否定的に自分を捉えるようになり、周囲から隔絶されたシェルターへの欲求が強くなってきます。そしてさまざまな行為を行うために他者から自分自身を隔離する必要が生じ、自室に籠るようになります。逆に、青年期以降では自己同一性が確立し、自己像が安定してきますので再び家族空間に出てくるようになります。このように、子供の空間は個々の段階での発達課題の達成を助けるものとして捉えるべきであり、そのあり方も変わるべきものです。また、子供自身の空間行動も変化する筈である。これを概略的に示したのが図−1です。
 このように、子供の心理的成長にあわせて住まいの空間を変えるのが望ましいとなると、住まいの作りとしては柔軟な構造が必要となります。また子供は一人ではない場合も多くあります。したがって、この問題では子供の数、年齢差、性(差)、そして住生活プランなどさまざまな要因に配慮した議論が必要でしょう。
・家族をつなぐ住まい
 次に、家族関係と住まいのあり方について考えてみます。最近では「個食」などの家族関係の崩壊を表す言葉が生まれていますが、このような時代にあって、癒しや寛ぎをもたらす家族関係を維持するために住まいはどうあるべきなのでしょうか。
 家族関係もまた上に述べた子供の場合と同様にライフステージで大きく変わってきます。ここで留意すべきは、ヒトの家族という形態の特殊性です。多くの動物では子供が性的に成熟すればその時点で「子別れ」が起き、親子は新たな関係に入のに、ヒトでは子供が成熟した後でも親と同居することが普通です。その結果、住まいは「家族外他者に対する領域空間」であると同時に、「家族内他者に対する領域空間」という「入れ子状態」を本来的に帯びることになります。この後者が個室(ないしはそれに順ずる空間)に該当することは既に述べたとおりですが、このように考えるなら、問題は、個室(的空間)を維持しつつ家族間の関係を維持できる住まいをいかにしてつくるかということになります。
 個室(的空間)の意義については既に述べましたが、加えるならば、夫婦、親の個室保有も家族関係にも肯定的な影響をもたらす可能性があるということが示されています。たとえば、個室を保有する父親のほうが家にいる時間が長くなるそうです。一方では、家族空間と個室の相対的魅力度によっては個室が家族関係に負の影響を及ぼす可能性もあります。個室にオーディオやテレビなどの機器を多くもつ学生ほど部屋から出てこなくなります(とくに男子学生)。これは個室が子供にとって魅力のある場であれば、こどもはそこにとどまってしまうことを意味していますが、逆に個室以外の空間の魅力度を高めることで家族成員を家族空間に集めることができる可能性も示しているともいえるでしょう。
 この、家族空間の魅力度を増すという点で興味深いのが「吹き抜け」構造です。吹き抜けや住空間の垂直方向への拡大がリラックス感を生み出すことは知られていますが、それだけでなく、天井の高さがもたらす「空間的ゆとり」が開放的な印象を生みだし、小さな子供がいる場合には「活動」を誘発し、親子の遊びによる交流が深まるなどコミュニケーションの増大をもたらすようです。
 
あるいは最近のすまいでは見かけなくなりましたが、広縁や廊下といった空間の意義です。広縁は時に単なる荷物置き場に変化していることがありますが、そこを子供の遊び空間とすることで距離を保ちつつ親の目が届く空間とすることもできます。また、ミニ戸建てでは駐車場と化してしまった庭を芝にすることで遊びの空間として復活させることなども、家族の交流には意味があるかもしれません。

 (3)ストレスを生む住環境

 以上述べてきたことは、住まいを工夫することで居住者の心理的健康や健全な発達を維持しようとするものですが、逆に現代社会には、シックハウスになぞらえるなら、メンタルシックハウス(?)とでもいうべき、住まい・居住環境自体がストレッサーとなる場合があります。次のその主なものについて心理学の立場から考えてみましょう。
・高層住宅
 高層住宅、とくに高層階居住がストレスをもたらすことは既に多くの研究者の指摘するところです。そうした不適応状態は入居後しばらくの期間にとくに特に強く現れることは入居者の感想などからも窺えます。他方、高層階居住が批判されるもう一つの問題が子供への影響です。とくに就学前の幼児についての研究は、生活の自立性が遅れることを指摘しています。また、人間関係も希薄であるという指摘もあります。しかし、都市部での高層住宅への需要は多く、国土の有効利用という点からも、また場合によってはステータスシンボルとしても需要は高いようです。また、いわゆる超高層住宅に居住した人の感想にも賛否両論があります。
 高層住宅はその構造から「高層」以外の諸要因を多数含んでいますので(たとえば「集合居住」「密集環境」、「閉塞的」、「都心部での立地」さらに、敷地内や住棟内の「施設の条件」など)、高層住宅あるいは高層階居住の問題を考える場合にはこれらの高層住宅に付随・内在する要因が高層住宅居住者の心理に及ぼす影響も考慮しなければなりません。また、大きな議論となっている子供への影響にしても、周辺環境の整備や安全性などは子供の遊びに影響を与えるはずです。したがって、高層住宅の必要性を認めてその今後を考えるなら、指摘されている問題の主たる原因は高層住宅のどの要因にあるのかを明らかにし、その解決が技術的に可能かどうかを明らかにしたうえで高層住宅の是非を議論する必要があるでしょう。
 また、子供の自立への影響がいわれていますが、子供の発達過程を考えるなら、それが不可逆的なほど強い影響を持ち続けるのかは検討する必要があります。子供は幼児期あるいは小学校低学年までは親に依存し、生活範囲も狭い範囲に限定されますが、児童期後期からはむしろ行動範囲は広まり、多くの他者・場所に接し、知識も広がり世界が拡大します。こうした体験的世界の拡大によって高層階居住児童の自立性のおくれが改善する可能性も充分考えられます。このほか、高層住宅が普及して既に数十年が過ぎた現在、高層階居住そのものへの順応が生じている可能性など、高層住宅の問題は検討すべき課題が多く残されています。それらを解明して行く中で今後の高層住宅のあるべき姿が明らかにされるのではないでしょうか。
・密集環境
 高層住宅同様、狭い国土への対応として現れるのが狭小住宅や住宅密集の問題です。
 一般に密集あるいは過密環境はストレス状態を引き起こし、領域欲求を高めること、あるいは人間関係を疎にし、他者との接触や共同行動などが減少することよく知られています。そして、心理学のさまざまな実験や調査は、こうしたことが周辺環境の密集と住戸内部の密集のいずれにおいても起こり得ることを示唆しています。たとえば一人あたりの面積が少ない狭小住宅では子供は部屋で過ごす時間が増え、接客行動も少なくなるようです
 一方、空間的密集が心理的「混み合い感」と必ずしも一致するものではないこともよく知られていることです。そして、こころの問題と関連するのは多くの場合「混み合い感」であることから、住まいあるいは住まい方の工夫としては、「混み合い感」の生じる条件を理解する必要があるといえるでしょう。そのひとつの条件が個人の対処能力です。同じ密集状況でも物事に対して個人的対処が可能であるという認識を持つ人の方が混み合い感は弱いことも指摘されています。これは環境など自分の抱えている問題への対処が混み合い感に影響することを意味しています。あるいは密集した住環境では社会的支持が低下し、それがさまざまな心理的症状をもたらすことや、密集環境では人間関係が薄い人ほど混み合いによるストレスが高いといったこともいわれていますので、人間関係が混み合い感による負の影響を媒介するともいえるでしょう
 このように、密集の問題は非常に心理的な要因に左右されるという意味で、住構造的な工夫のしにくい問題ともいえます。しかし、豊かな人間関係の形成を促進する住宅の考案という視点からの対応が可能かもしれません。その際、地域レベルでの開発であるならば、住戸のアプローチ方向、道路のあり方、共同利用空間のあり方までも含めて、近隣関係の形成を促進する条件を検討することが必要かもしれません

最後に(住まいの心理学的意味)
 以上述べましたように、住まいは私たちの日常生活の中で活動の重要なベースキャンプとなっています。また、災害で住まいを失った人の心理や、望まない転居でそれまでの住まいを離れざるを得なくなった人の心理などを考えると、住まいは我々にとって深い愛着の対象となる存在であることもわかります。ここでいうベースキャンプは主体がある行為を行うのを心理的に支えるという意味で、心理的ベースキャンプとでも言い換えることができます。一例を挙げるなら、知らない場所に来た幼児にとっての母親のようなものでしょう。幼児は、母親が横に居れば新奇環境に対して積極的に探索行動を行い、世界を拡大してゆきますが、母親が不在になれば萎縮し、環境への働きかけをやめてしまいます。このような心理的ベースキャンプを私たちはいくつももっているのですが、住まいもまたそのひとつになりうるのです。

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