2011年12月アーカイブ
12月10日(土)と11日(日)の2日間、宮城県七ヶ浜町で被災地支援ボランティアをしました。
第3回被災地支援ボランティア活動に参加した学生より、感想を寄せてもらったので紹介します。
学生からの感想
(1)ボランティアに参加したきっかけ
(2)ボランティア活動内容
(3)感想
法学部3年 野崎央矩
(1)被災地ボランティアに行こうと思ったきっかけは、実家が宮城県で、地元のために何かしたいとずっと思っていたから
(2)松林の瓦礫撤去、個人宅の瓦礫撤去、畑
(3)私の実家が宮城県でずっと地元の為に何かしたいと思っていて、今回被災地ボランティアに参加して、ほんの少しでも復興のために貢献できたと考えると参加してよかったと思いました。しかし、まだ処理出来ずに積まれたゴミの山や、震災の日から作業が全く進んでいない場所を見て、不安になってしまったこともありました。瓦礫をすべて撤去し、完全に復興するのには10年以上かかってしまうと思います。私は少しでも早い復興に貢献出来るよう、また機会があれば大学のボランティアに参加し、就職してからも復興のことを考えて行動を起こしていきたいと思いました。
法学部2年 小川拓哉
(1)以前から、ボランティアをしたいと思っていたが、幾度となく逃していた。しかし、友人から、震災のボランティアがまたあるよと教えてもらい、チャンスは今しかないと思い、決断した。
(2)1日目、松林の清掃、土木の除去。2日目、個人宅の清掃、土木除去(チームレスキューと共同)
(3)東日本の大震災が、日本にどれほどの悲しみをもたらしたかはかり知れない。今回行った七ヶ浜は、私が思っている以上に復興していた。しかしながら、海岸や、個人宅の一部では、まだ元の状態に戻ったとは言えない。ボランティア活動を通して、その悲惨さや、私達がどれだけ恵まれた生活を送っているかを感じた。そして、利己的に生きるのではなく、利他の精神、すなわち、人に尽くす生き方が一番重要であり、それこそが、人間と人間の絆を生むのだと思う。そして、絆こそ復興への近道だと感じる。
サークル連合は、毎年春と秋に主催するスポーツ交流会の前日にボランティアの清掃活動を実施しています。この清掃活動は15年間も続いており、今回は100名規模で12月17日(土)10時~12時までの間、駅周辺、大学構内・周辺、スポーツ施設等に別れ実施しました。
彼らが一生懸命に取り組んでいる様子の一部をご紹介します。
※サークル連合は、アプリコット、イノセント、サエラ、プレス、ヌーボーのテニスサークル5団体で構成されています。
経済学部の南林教授の活動報告です。南林教授は、七ヶ浜町でのボランティア活動は、8月に続き2度目の参加ですが、大学が計画した活動以外にも、南三陸町に行くなど、何度も被災地で活動しています。
被災地支援ボランティアに参加して
12月10日(土)と11日(日)の2日間、宮城県七ヶ浜町で被災地支援ボランティアをしました。七ヶ浜町は、仙台市の東方約20km、仙台湾および松島湾に突き出た小さな半島の町です。名の通り7つの浜を持つ風光明媚な町です。七ヶ浜町の人口は、21,068人(2005年国勢調査)、この震災で亡くなられた町民の方は91名、身元不明の方などを合わせて107名と公表されています。
1日目(12月10日) 町内最大の仮設住宅エリアである第1スポーツ広場の集会所の待機ボランティアをしました。待機ボランティアとは、最低限の仕事(来所者へのお茶だし、清掃など)は決まっているのですが、その他ニーズに合わせて臨機応変に動くスタッフです。当日は、寒さに備えて仮設住宅の壁に断熱材を入れる工事の真っ最中で、窓は2重窓に、入口には風雪よけの囲いが取り付けられていました。囲いの中には様々な生活用品が置かれ、震災後9ヶ月がたったことがしみじみ感じられました。
10時前に集会所到着、すでに3名のお母さん達が編み物をしており、子供達が部屋の中を走り回っていました。アロママッサージのボランティアさんは、11時過ぎに兵庫県から到着。70歳過ぎの男性を筆頭に3人が待っておられて開始。好きなアロマの香りでリラックスさせながら、マッサージのボランティアさんは本当に話し上手で、皆さんさらによい気分になっていたようです。午前中は子ども6名、アロマ6名、編み物3名の計15名。一番乗りした男性は松島湾に面した花渕浜の方でもともと漁師さんでしたが、いまは毎日この集会所に来ているとのこと、皆から社長と呼ばれていました。あるおばあちゃんは、地震後に家にいたら、近所に住む大学生が逃げなくちゃ危ないと呼びに来てくれて助けてもらった。命の恩人だと話してくれました。家は土台だけ残ったとのことです。
午後は1時に社長が来所、アロママッサージ開始。社長は結局お金、仕事がないことが一番大きな問題と静かでありながら強い語り口で話してくれました。午後の来所者は11名、長野県警の警察官のグループが2組、被災者の方々の話を聞きに来られました。
2日目(12月11日) 畑の整備でした。
10cmの深さで畑全体を掘り起こし、土を篩いガラス類を取り出しました。午前中、土の中から携帯電話が出てきました。開けてみると回りは土でしたが中はそのままでした。これを探している人がいるだろうかと思うと、震災がまだ終わっていないと深く思いました。
午後2時46分、9ヶ月目の月命日でしたので、海の方向を向いて並び、黙祷をしました。その時間、津波に襲われた人々の恐ろしかった体験の話を思い出していました。
今回のボランティアは、実際に被災された方とお話しできたこと、埋もれた携帯電話、黙祷、そして4ヶ月前と変わらない広大な田んぼの上のひっくり返った車、これらのことを深く刻んだ2日間でした。
本学で学んでいる外国人留学生対象に、日本語能力の発表の場として、「外国人留学生日本語スピーチコンテスト」を毎年実施しております。
今年度は、12月1日(木)午後1時30分より第2講義棟4階AVホールにて開催いたしました。
第16回を迎えた今回は、聊城(リャオチョン)大学(中国)からの交換派遣留学生と正規課程に在籍する留学生6名が参加しました。また、スピーチの他に留学生交流会の活動内容紹介、昨年まで本学に交換派遣で留学していた学生からの手紙朗読など楽しい内容となりました。
また、同日午後5時からは「もちつきパーティー」も行われ、初めての『もちつき』を留学生たちが体験しました。駿河台大学で過ごした留学生活の中で、思い出深い一日になったことでしょう。
なお、日本語スピーチコンテストを聴講していた本学学生の感想文を掲載いたしましたので、是非ご一読下さい。
留学生日本語スピーチコンテストの感想
今回の外国人留学生日本語スピーチコンテストに私は初めて参加した。どういった内容なのかイメージが湧かないまま参加したのだが、始まってまず最初に、雰囲気の良さですぐに安心することができた。司会のシャンポシさんとマーユエさんの2人は、驚くほど流暢な日本語でスムーズな進行をしていて、いい雰囲気を作っていた。スピーチをする外国人留学生の方たちは、緊張した様子ながらも非常に滑らかで聞き取りやすい日本語をつかい、聞いている私たちを時に楽しませ、時に様々なことを考えさせてくれた。中でも私の印象に残ったのは、リヤニンさんとアンミョンギュさんの2人のスピーチであった。
リヤニンさんは、「中国と日本のサービス」という演題だった。彼女は、日本へ向かう飛行機の中で、日本のキャビンアテンダントの方のサービスの良さに驚き、その後も日本の客に対するサービスの良さにたびたび驚かされたという。中国では、日本と違いサービスにそこまで重きを置かないらしい。そのサービスを受け、客が気持ち良くなれることがすばらしいと思った半面、サービスを提供する側は厳しく指導されることがあまり良くないと思ったそうだ。彼女自身、コンビニでアルバイトをしているときに接客について何度も店長から厳しく言われたらしい。その日本のサービスに対する厳しさが、サービスを提供する側のストレスにつながっていることを彼女は懸念しているという。そのストレスがきっかけで、うつ病や、果ては自殺などの問題にもつながるのではないかと。その点において中国のサービスは、日本に比べて適当ではあるが、サービスを提供する側の心の負担はないそうだ。日本のサービスと中国のサービスは、どちらもいい面を持ち合わせているが、どちらも問題を抱えている。その双方がお互いの良さを学び、活かしあえば、もっとよいものになるだろうという考えをスピーチにまとめたものだった。私は今までそういったことを考えもしなかったが、確かに日本のサービスの良さの裏にある指導の厳しさは問題であることに気付いた。非常に考えさせられるスピーチ内容だった。
アンミョンギュさんは、「私の夢」という演題だった。かなり緊張した様子でスピーチをしていた彼は、日本の大学に留学してくる際、日本人の友達をたくさん作ろうと張り切っていたそうだ。しかし、この大学で留学生の友達に日本人の友達は何人いるかと聞いたところ、「おれは2人かな。」「え、おれは1人もいないよ。」という残念な答えが返ってきたらしい。そこで彼が気付いたのは、彼ら留学生と日本人学生の間には壁があるということであった。日本人学生にとっては、彼らアジア系の留学生よりもアメリカやヨーロッパ出身の留学生に興味があるだろうということも言っていた。彼はそんな壁を乗り越えて、外国人留学生と日本人学生がもっと友達になっていけることが目標だという。すばらしい考え方だと思った。私はこのスピーチを聞き、積極的に外国人留学生の方たちと親しくしていきたいと思うようになれた。
他の留学生の方々のスピーチや、発表なども非常に興味深く、面白いものが多かった。今回このスピーチコンテストに参加したことで私はとても充実した時間を過ごせた。次もまた機会があれば参加してみたいと思う。
2011年12月17日(土)に飯能市国際交流協会主催「日本の家庭料理教室」に飯能ロータリークラブのご支援により、交換留学生5名と日本人学生4名が参加しました。この料理教室は、毎年、本学の留学生のために飯能市国際交流協会と飯能ロータリークラブが特別に開催してくれています。
学生9名が調理したメニューは、チキンの照り焼き丼、ブロッコリーのごまあえ、ポテトサラダ、味噌汁。どれもおいしく出来上がり、全員、大満足の表情を浮かべていました。
留学生が日本料理を調理するのは初めて。皆、器用に野菜を切ったり、お肉を炒めたり、日本人学生と母国の料理の話をしながら調理をしました。今回参加した日本人学生は、来年度に交換・派遣留学生として海外に留学する学生たち。今回のこの経験がこれから行く留学先でも大いに役に立つことでしょう。
本学卒業生の海渕萌さん(平成20年度現代文化学部卒)が、中国で開催されたロンドンオリンピックアジア大陸最終予選会、女子カヤックシングルで、日本人最高の3位になり、来年のロンドンオリンピック代表に内定しました。
現在、駿河台大学内には、AED(自動体外式除細動器)が6台設置されています。
(設置場所:正門守衛所内、第2講義棟1階中央付近、本部管理棟1階入試広報課前、体育館1階事務室付近、フロンティアタワーズ1階売店入口付近、山﨑春之記念スポーツ館1階学生寮側入口付近 に各1台)
危機管理に関する意識が高まる中、本学でもいざという時に有効活用してもらえるよう、9月に実施した学生対象AED講習会に続き、教職員のAED講習会を12月13日(火)に実施しました。
教職員対象のこの講座は今年で4回目となり、経験者もかなり増えましたが、今回は法改正による変更点等の説明もあり、例年より多めの72名の参加がありました。
当日は、綜合警備保障株式会社の方を講師にお迎えし、1回70分の講習を3回実施し、講習のなかでは、全体説明の後、1人ずつ実技体験を行いました。
この講習をきっかけに、皆さんが、日頃から危機管理意識を持ち、いざという時に力を合わせて対応できるようになることを願っています。
なお、AEDは緊急時に使用するものです。それ以外にはむやみに使用しないようにしてください。また、使用した際は、必ず健康相談室へ連絡してください。
12月9日(金)~12日(月)の4日間で、3回目となる宮城県七ヶ浜町の復興支援ボランティアに行ってきました。
今回は、学生26名、教員2名、職員4名に元父母会長の伊藤さんも特別参加されました。
活動日は、12月10日(土)と11日(日)の2日間で、ボランティアセンターの指示に従い、初日は、松林のクリーンアップ活動と仮設住宅の集会所支援、2日目は、数グループに別れ、個人宅跡地の片付け、畑地の瓦礫撤去、地元工務店の復旧支援、仮設住宅の集会所支援等の活動に参加しました。
12月の東北宮城県での活動ということで、相当な寒さを覚悟して行きましたが、幸い2日間とも天候には恵まれ、たくさん用意した使い捨てカイロもほとんど使わずに持って帰ってきました。
移動のバスの車中からは、8月の第1回、10月の第2回の時と比べ、復興が少しずつ進んでいる町の様子を見てとることができました。これまでの私たちの活動も少しはお役に立っていると思います。
ただし、ボランティア等の活動により、災害の跡地は、徐々に片付きつつありますが、瓦礫が無くなった後には、残された家の土台だけが連なり、空き地のように広がっています。
津波による直接の大きな被害を受けた地域では、復興の準備が整いつつあるだけで、本当の復興はこれからなのだと感じます。
今回は、授業日にかかる日程での実施でした。授業を欠席して参加した学生もいますが、授業担当の先生方のご協力・ご配慮に感謝いたします。
今年度は、これから、試験期間と入試が本格的に始まります。現地も厳冬期に入りますので、被災地での活動は、難しくなります。
これからしばらくの間は、支援物資の寄附など「被災地に行かずにできる被災者支援ボランティア」を中心に活動を継続していきたいと思いますので、皆さんのご協力をお願いいたします。
後日、個々の参加者の活動報告も掲載いたします。是非、ご一読ください。
12月8日(木)15:00~16:30より第2講義棟 7207教室にて、ボランティア活動支援室主催「福祉の資格を知るPart Ⅱ」を開催しました。昨年に続きソーシャルワーカーの仕事について理解するとともに、その国家資格である精神保健福祉士の仕事について知ろう!というテーマで本日は開催しました。講師にNPO法人あおーら地域活動センター希望・精神保健福祉士、田村 乗子氏をお迎えして、約1時間にわたって「精神保健福祉士」の仕事や、やりがいについてお話しをいただきました。
参加した学生は、興味深そうにメモをとりながら耳を傾けていました。最後に1人ずつ、本日参加したきっかけや感想を述べて終了となりました。
12月7日(水)、本学企画広報委員会主催で「震災と貧困~これからの日本社会~」をテーマに、反貧困ネットワーク事務局長、内閣府参与等を務められている湯浅誠氏による講演会が開催されました。
当日は、本学の学生約250人、市民の方約100人の参加があり、この問題に対する関心の高さがうかがわれました。
湯浅氏は、東日本大震災により生じた課題は、時間的にも空間的にも被災地に限らない課題であり、今後、どの地域でも同じように生じうる問題であると述べられました。そして現在の貧困問題を、人口問題や労働問題など幅広い視点から論じ、社会の分配の仕組みのあり方を問い直すことが必要であり、このことが成長につながるとの方向性を示されました。
おりしも就職活動が解禁され、学内企業セミナーも開催されるなどもあり、スーツ姿の学生が「就職活動に多くの努力が求められる時代となった」との言葉に共感する姿も見られ、タイムリーな企画となりました。ご講演いただいた湯浅様、ご参加くださった皆様には、心より御礼を申し上げます。
埼玉県西部地域6大学(駿河台大・淑徳大・尚美学園大・城西大・西武文理大・武蔵野学院大)の教職員、近隣自治体、商工会などが加盟している埼玉県西部地域雇用促進協議会が主催する、埼玉県西部地域企業合同説明会が12月6日(火)12~16時に入間市産業文化センターで開催されました。
この企業説明会は「地域の大学から地域の企業へ」を目指して、2006年から年2回行われ今回が11回目。昨年度まではこの企画に文部科学省から駿河台大学に対する助成がありましたが、今年度から助成がなくなったのを機会に、主催する協議会も、各大学とは協力関係を保ちつつもより自立した組織として再出発し、各方面の温かい支援・協力のもとに産・公・学関係者の手作りの催しとして実施に漕ぎつけたものです。とくに入間市商工会には会場の手配など大変なご支援をいただきました。
経費を節減する必要から、会場も、前回の所沢駅前くすのきホールから、入間市駅より約12分の入間市産業文化センターでの実施となりましたが、関係者が今まで以上に精力的に取り組み、前回を上回る43社の地域中小企業・団体が参加してくれました。当日は、冷え込みも厳しく、雨も降りだす空模様でしたが、協議会の6大学だけでなく埼玉・東京の29大学の3・4年生、大学院生、既卒者ら312名が参加し、熱心に企業のブースで面談に臨んでいました。駿河台大学生は155名が参加しました。雇用状況の厳しさもあって意欲の高い学生が多かったこと、会場が前回よりも狭かったこともあって、場内は大変な熱気に包まれ、参加学生は次々と別のブースを訪れていました。
知り合いの学生に声を掛ける教職員の姿が会場のあちらこちらで見られ、手作りの温もりの雰囲気が漂っていました。
学生のアンケートには、「身近な企業が多くてよかった」「自分が関心をもつ企業が見つかった」「企業との面接は初体験だったが雰囲気がつかめた」「他大学学生と一緒で、やる気が強まった」「質問しやすく、説明がよくわかった」など肯定的な意見が多く書かれていました。駿大生の中には、この説明会の後、大学の説明会に参加する予定という学生も多く見受けられました。未内定の4年生に「残りものに福」の良い出会いがあればと思うと同時に、就活を始めたばかりの3年生には、この説明会に参加したことで、直接間接に何かをつかんで、今後の就活に生かしてほしいと思いました。(吉田邦久)
12月1日(木)~2日(金)に本学の協定校である聊城大学(中国・山東省)の李校務委員会主席が率いる訪問団が来校しました。
聊城大学訪問団メンバーは、李喆校務委員会主席、劉生国際教育学院長、黄勇生命科学学院長、銭品輝美術学院長、姚中平財務部長の5名。聊城大学の訪問団の本学への訪問は、今回で3回目となりました。
今回の訪問の目的は、現在、聊城大学より留学生として受け入れている人数を更に増やすという新たな協定を締結するためです。現在、聊城大学からの留学生は4名ですが、今後は、8名程度となる予定です。
飯能に到着した夕方には、川村学長による歓迎会が盛大に行われました。
現在、本学に留学中の4名 宋賀(そうが)さん、劉續洋(りゅうぞくよう)さん、孫凌雲(そんりょううん)さん、王華偉(おうかい)さんが学内を案内しました。
交換留学生がお抹茶を紹介。