09.11.30
※大録英一教授による第3弾「経済に関する法の直面している問題」はこちら
Ⅰ 証明責任について
民事訴訟では、求める裁判の内容に応じ、当事者のいずれかが主要事実について証明する責任を負っています。例えば、原告が被告に金銭を貸し付けた場合、原告は、被告に一定額の金銭を交付したこと、被告がその返還を約束したこと(民法587条)の両方の事実(以下、「貸金」と略称します)について証明責任を負っています。他方、被告は、被告又は第三者が約束どおりに金銭を返済したこと(民法474条)、あるいは原告が被告に債務を免除する意思を表示したこと(民法519条)などの事実について証明責任を負っています。証明責任を負う者がその責任を果たせなかった場合、判決では証明責任を負う側に不利益な事実判断が下されます。すなわち、貸金の事実が証明されないと貸金返還請求は棄却されます。反対に貸金の事実について被告の自白があり(民事訴訟法179条)、あるいはその事実の証明があったのに、被告が返済したこと、あるいは債務免除があったことなどの事実を証明できない場合、貸金返還請求は認容され、被告は敗訴することになります。
Ⅱ 証明妨害について
民事訴訟法は、一定の証明妨害行為があると、裁判所が相手方の主張する事実を真実と認めることができるとする規定をいくつか置いています。例えば、当事者本人が正当な理由なく、尋問期日に出頭しなかったり、陳述を拒んだ場合(208条)、あるいは当事者が裁判所の文書提出命令に従わなかったり、提出義務のある文書を滅失させた場合(224条)などです。民事訴訟法学者は、法律に定められた場合以外にも証明妨害行為があった場合、一般的にどのような要件の下、どのような法律効果を認めるかについて論じています。学説を大雑把に分類すると、証明妨害がある場合、証明責任が転換されるとの説、裁判官の自由心証に影響するとの説、証明度が軽減されるとの説などがあります。
裁判例では証明妨害論について明確に意識して判断したものはあまり多くありません。教科書などでよく引用される事例としては、自動車事故により保険金の支払を請求する原告が被告である保険会社に遅滞した保険料を事故前に支払ったのか(この事実が要証事実であり、証明されれば保険金請求が認容されます)、それとも事故後に支払ったのか(上記要証事実の反対事実ですから、この点について被告は証明責任を負わず、原告による要証事実の証明を反証により動揺させるだけで請求が棄却されます)が争われたものがあります。第一審の東京地裁平成2年7月24日判決・判例時報1364号57頁は、原告が被告の代理人から受け取った領収証に領収日時の記載がなかったことから被告側に証明妨害があったものとし、この場合、被告側で事故が保険料の支払前に起きたことを証明すべきであると論じました。すなわち、保険料支払時期に関する証明責任をこの事件に限り、原告から被告に転換させたことになります。もっとも、この第一審判決は、そう論じた後の箇所で原告の記憶が曖昧であること、支払に用いた小切手の日付が事故後のものであることなどから、原告が事故後に小切手を被告の代理人に渡したものと認定して原告を敗訴させました。
この事件は原告により控訴されましたが、東京高裁平成3年1月30日・判例時報1381号49頁は、保険契約者の無知に乗じて保険の効力の及ぶ期間を曖昧にする等の故意又はこれと同視できる重大な過失により保険料を受領した日時を記載しない領収証を交付した場合には証明妨害をしたことになると論じた上、本件においてはそのような故意又は重大な過失があったとは認められないとして保険金請求を棄却した第一審判決の結論を維持し、控訴人(原告)の控訴を棄却しました。
そのほか、証明妨害に関する論文等でよく引用される裁判例として、新潟水俣病に関する新潟地裁昭和46年9月29日・判例タイムズ267号99頁があります。同判決は、被告がアセトアルデヒドを製造する工程で生じた排水と原告らの水銀中毒との間の法的因果関係を認める理由を説示する中で、被告のプラントが試料も保存せずに撤去され、製造工程図等も廃棄された事実に言及しています。この言及部分は、証明妨害により裁判官の自由心証に影響があったとも、証明度が軽減されたとも、両様に解釈できそうです。
Ⅲ 神判について
古代又は中世期、何らかの方法により神意とされるものによって裁判の結論を得ることが国の内外を問わず、行われていました。わが国では、熱湯に手を入れさせて正邪を決する盟神探湯(区訶陀智)や焼いた鉄片を手で運ばせる火起請(信長公記巻首参照)などが知られています。日本書紀巻第十三、允恭天皇四年(西暦415年)の項には、氏姓を偽る者を判定するために盟神探湯が行われ、偽り者が火傷をしたため、後に続く偽り者は退いたとの記述が見られます。これは、上述した証明妨害ないし回避があったと見ることができそうです。なお、盟神探湯は、日本固有のものではなく、サリカ法典によれば、六世紀ころのヨーロッパでも行われていたようです。
古代バビロニアで用いられたハンムラビ法典(紀元前18世紀ころ)には、被告を水に飛び込ませ、浮かぶか、沈むかにより主張の当否を判定させるとの水神判に関する条文が見られます。その後に用いられたアッシリア法書(紀元前12世紀ころ)には、水神判を拒否した者は、証明があったのと同等に扱うとの条文が見られます。このように古い法律が証明妨害について定めていたことは、まさに驚きです。
神判には、水や火の外に呪詛や毒物を用いたもの、くじによるものがあったということです。
下って1817年、イギリスにおいて原告アシュフォードから被告ソーントンに対して殺人私訴が提起されたところ、法廷で被告が手袋を投げ付けて原告に決闘を申し込みました。すると、原告はひるんで殺人私訴を取り下げ、この訴訟が終わったということです。西欧では決闘も神判の一種であり、当時の常識では神の加護が正しい者にあるとされていたのですから、原告は決闘を受けるべきであったのかも知れません。この決闘拒否の事例を証明妨害の一種と見るのは行き過ぎかも知れませんが、訴訟又は証明を妨害・回避する者はその結果を甘受すべきであるという原理を想定すると、説明ができるように思われます。何だか、民法130条にいう「条件の成就を妨げた」場合の実体法理に似ていると思いませんか。
証明妨害の起源を神判に求めるのは難しいでしょうが、人間社会に裁判は不可欠であり、裁判の原理には時代と地域を超えた普遍性があるように思われます。
【主要参考文献】
野村秀敏「証明妨害」吉村徳重・小島武司編・注釈民事訴訟法(7)120頁以下(有斐閣、1995年)
水元宏典「証明負担の軽減」伊藤眞・山本和彦編「民事訴訟法の争点」190頁以下(有斐閣、2009)
久保正幡訳・サリカ法典(創文社、1977)
原田慶吉・楔形文字法の研究(清水弘文堂書房、1967)
ヨゼフ・コーレル(小野清一郎訳)・法の一般的な歴史(原書1914、訳書1952、日本評論新社)
穂積陳重・法窓夜話(原書1916、岩波文庫、岩波書店)
<バックナンバー>
第1回 「子ども虐待の防止――私たちにできること」(吉田恒雄教授)
第2回 「私の憲法研究」(「北原仁教授)
第3回 「経済に関する法の直面している問題」(大録英一教授)